スキー、空間づくり、民芸…COMPLEXライヴの映像プロデューサーが薦める大人の学び

AI要約

映像プロデューサーがスキーとサウナの宿を手がけることに至るまでの経緯。野沢温泉でのスキーと地元の文化に触れ、物件のリノベーション、ヴィンテージ家具の集める過程を通じて空間づくりに魅了される。

建築家吉村順三の作品やジョージ・ナカシマの家具に興味を持ち、物件の空間に彼らの作品を取り入れることに喜びを感じる。同時代の作品の魅力と共に、地元の歴史や文化も大切にする考えが反映される。

空間づくりの経験が映像プロデュースにも影響を与え、撮影時の道具選びにおいてシンプルで重厚なものを重視するようになる。過去の歴史やオーラのあるものが空間に与える影響に気づく。

スキー、空間づくり、民芸…COMPLEXライヴの映像プロデューサーが薦める大人の学び

野沢温泉やニセコでのスキーから、土地の民芸、歴史に興味を持ち、ヴィンテージ家具を集め、その空間をつくり、人をもてなす。どこにいても仕事ができるという映像プロデューサーの多忙にして幸福な日々とは――。

気鋭の映像プロデューサーで、数々のアーティストのミュージックビデオやライヴ演出を手がける東市篤憲氏。2024年5月に開催された吉川晃司氏と布袋寅泰氏によるCOMPLEXのライヴも演出した東市氏は、現在、長野県の野沢温泉村、山梨県の山中湖、さらに北海道のニセコに物件を持ち、スキーとサウナの宿をつくっている。そして、そこに至ったのには、スキーとの出会いがあった。

「コロナ禍に、手がける予定だったライヴや撮影が中止になり、自分の仕事について考え直したんです。そんな時、野沢温泉村に籠ってスキーを始めて。そこで雪山を滑っているうちに、土地の文化や歴史に興味を持つようになりました」

野沢温泉は日本三大火祭りのひとつである「道祖神火祭り」でも知られている。また村内に自然湧出の共同湯が13ヵ所あり、村全体で管理。行事や共同湯などの運営は、日本で数少なくなった「惣代(そうだい)制度」のもと、惣代と呼ばれるリーダーが指揮を執り行っている場所だ。

「火祭りは25歳と42歳の本厄の男性が、たいまつを持った村人たちから社殿を守るというもので、その攻防は本当に激しい。そういうものを見て、村の人にいろいろ教えてもらっているうちに、ここに拠点を構えたい、と考えるようになりました」

かつて民宿だった古い物件を購入、リノベーションしていくなかで、大好きなヴィンテージ家具や村の民芸品を多く設置。その土地の歴史を空間づくりに取りこむ面白さにハマりこんでいった。友人たちを招待したところ、皆その空間を絶賛。それではと、スキーとサウナの宿にすることに決めた。

さらに同時期に山中湖にも築50年の物件を購入、同じように空間づくりを行った。

「山中湖の物件は、同じくコロナ禍にハマったサウナを楽しめる家をつくりたいと探していたんです。そのなかで古いけれど、オーラがある一軒家を見つけた。それが建築家の吉村順三さんの建築だったんです」

奈良国立博物館など、数々の名建築を残してきた吉村順三。住居も多く設計しており、山中湖の家もそのうちのひとつだった。吉村建築を残すべく、大きなつくり替えは行わず、もともとの目的であったサウナの増築も、取りやめることを決めた。

「敷地内はジャングルのように草木が覆い茂っていて、けれどある場所だけ、通常より大きな窓があったんです。こんなに大きな窓があるには何か理由があるに違いないと、そのあたりの木を切ってみると、そこから富士山が見えた。宝探しのような体験でしたね」

東市氏は、吉村建築とはどんなものなのか調べていくうちに、吉村と同時代に活躍した家具デザイナー、ジョージ・ナカシマの家具に出会う。1930年代に、帝国ホテル建築のため来日したジョージ・ナカシマは、吉村順三と同じ事務所でともに働いていた。

さらに1973年には吉村がロックフェラー邸を設計した際、220点以上の家具をジョージ・ナカシマが製作。そのように同時代に切磋琢磨してきたふたりの作品を、この山中湖で出会わせたいと、ジョージ・ナカシマの椅子を東市氏は集めた。

「同時代のものを揃えていくことに喜びを感じました。その土地で生まれたもの、建築と同じ文脈の家具。空間をつくる際のもの選びの基準が、自分のなかで徐々に構築されていくような感覚でした」

映像プロデューサーとしてもこの感覚はその後大きく役立っていると東市氏は言う。

「映像づくりも、フレームの中の空間をどう見せるかを考えること。ライヴ演出も舞台という空間づくりです。今までは、撮影の大道具・小道具を、多く持っていって、そこから撮影の際に選ぶことが多かったんです。けれど、家や民宿の空間をつくるようになって、シンプルで強いものが空間にはひとつあればいいんだと気がつきました。

もの自体に歴史や重みがある。そういうオーラがあるものは、ハリボテの小道具がいくつあってもかなわない。撮影の時のもの選びも、シンプルになっていきましたね」