45歳で夫に先立たれ、48歳で脳溢血、53歳で突然絵筆をとった伝説の画家・塔本シスコの波乱万丈な人生

AI要約

1913年(大正2年)生まれ。53歳で画家デビュー、91歳で亡くなるまで絵筆を取り続けた伝説の画家、塔本シスコ。

2023年秋には、その人生が本人の絵とともに書籍になり、注目を集めています。

2024年9月23日まで、滋賀県立美術館で作品が見られます。

45歳で夫に先立たれ、48歳で脳溢血に倒れるなど、さまざまな困難を乗り越えて、ただ「描きたい」という情熱のままにキャンバスに向かい続けたシスコ。

塔本シスコは、1913(大正2)年、西山卯三郎とミセ夫妻の次女として、熊本県の八代郡(現・八代市)に生まれた。

が、すぐに、ミセの弟・西崎傳八(でんはち)の養女となる。

45歳で夫に先立たれ、48歳で脳溢血、53歳で突然絵筆をとった伝説の画家・塔本シスコの波乱万丈な人生

1913年(大正2年)生まれ。53歳で画家デビュー、91歳で亡くなるまで絵筆を取り続けた伝説の画家、塔本シスコ。2023年秋には、その人生が本人の絵とともに書籍になり、注目を集めています。

2024年9月23日まで、滋賀県立美術館で作品が見られます。

45歳で夫に先立たれ、48歳で脳溢血に倒れるなど、さまざまな困難を乗り越えて、ただ「描きたい」という情熱のままにキャンバスに向かい続けたシスコ。

一目見たら忘れられない、エネルギーに満ちた絵は、見る人を確実に元気にしてくれます。

シスコとはいったい何者なのでしょうか?

『塔本シスコ 絵と絵と絵の人生』(katsura books)収録の絵のページと評伝より、抜粋してお届けします。評伝の執筆はシスコの孫、福迫弥麻(ふくさこ・みあ)さん。 *内容は著者の了承のもと、大幅に編集してあります。

第1回は、不思議な名前の由来から、夫と死に別れるまで。

塔本シスコは、1913(大正2)年、西山卯三郎とミセ夫妻の次女として、熊本県の八代郡(現・八代市)に生まれた。が、すぐに、ミセの弟・西崎傳八(でんはち)の養女となる。

シスコという名前は、傳八のサンフランシスコ行きの夢を託してつけられた。当時、熊本県は日本有数の移民送出県であり、多くの若者が海を渡っていた。傳八も海外への憧れを抱いていたらしい。

翌年、傳八に実子が生まれると、シスコは祖父母の家に引き取られ、叔母と3人のいとこたちと暮らすことになった。しかし、5歳のときにスペイン風邪で、いとこの一人が死去。祖父母と一緒に、再び傳八夫妻の家へ。そこにはたくさんの子どもたちが生まれていた。

子守や農作業などの労働に追われるようになったシスコは、豊川尋常高等小学校を4年生で辞め、1925(大正14)年春、12歳のときに下益城郡小川町(現・宇城市)の「新麴屋」という商家に女中奉公に出た。

新麴屋は、薩摩街道の宿場町として栄えていた小川町の商店街にあり、江戸時代末期から大正時代にかけて金融業、茶商、製糸工場創業など広範にわたり商いを行っていた。シスコが女中奉公をしていた頃は、食客となって逗留する画人や美しい調度品など、間近に芸術を目にする機会も多かったであろう。

小学校時代のことを思い出し、後年、たくさんの作品を描いている。