乳がんから生還したモデル・園田マイコ(55)が感じた「ひとりで抱え込まず人に甘えること」の大切さ

AI要約

園田マイコさんは39歳で乳がんを宣告され、5年にわたる闘病生活や10年にわたる通院生活を送りました。病気の際には、息子さんや元夫、義母など多くの人に支えられました。

24歳で結婚し渡米した園田さんは、出産や仕事を通じて新しい環境にどんどん飛び込んでいきました。ニューヨークから日本に帰国後も仕事を続けながら子育てを頑張っていました。

乳がん宣告を機に、元夫や義母がサポートし合う関係性が良好であることが明かされました。病気の影響で味覚障害が起きた際には元夫がご飯を作って励ましてくれたことも紹介されています。

乳がんから生還したモデル・園田マイコ(55)が感じた「ひとりで抱え込まず人に甘えること」の大切さ

39歳のときに乳がんを宣告され、5年におよぶ闘病、10年にわたる通院生活を送ったモデルの園田マイコさん。病気のときは、息子さんや元夫、義母をはじめ、多くの人が支えてくれたそうです。(全2回中の2回)

■モデルとして活躍していた24歳で結婚し渡米

── 18歳でモデルデビュー、雑誌モデルとして人気を集めていた24歳で結婚されました。

園田さん:周囲の仕事関係者は驚いていました。彼の仕事の関係でニューヨークに移り住むことになったため、出産もむこうですることに。周りに相談できる人がいないという不安がありましたが、若かったからか、怖いもの知らずで。不安よりも新しい環境が楽しくて仕方ありませんでした。出産後は母がニューヨークに手伝いに来てくれたのですが、当時と母の時代とではギャップがあって、育児方針の違いからケンカになることが多かったですね。インターネットも盛んではなかったので、母が帰国後は育児書を頼りに頑張った記憶があります。

── 結婚後、お仕事はどうされたのでしょうか?

園田さん:いまでは考えられないかもしれませんが、当時は出版社をはじめ、クライアントの方が飛行機代を出してくださって、ニューヨークから日本の撮影に呼んでもらえたんです。現地のファッションショーにも、出産後すぐに出演したことがありました。息子が2歳になるころに日本に戻ることになったのですが、帰国後も母や義母のサポートがあったため、子育てをしながら、なんとか仕事を続けることができました。

■病気をきっかけに人に甘えられるように

── 旦那さんとはその後、離婚されました。ただ、元夫や義母との関係はいまでも良好だそうですね。

園田さん:そうですね。離婚後4年ほど経ったころに私が乳がんだということがわかったんです。元夫にも病気のことは知らせていて、病気がわかった直後にも連絡をしました。泣いているときに励ましてくれたり、抗がん剤の影響で味覚障害が起きているときは、よくご飯を作ってもってきてくれたり、外に連れ出してくれたりしましたね。