【書評】変わらないことの価値:小野伸二著『GIFTED』

AI要約

小野伸二は、日本で最も評価された天才的なサッカー選手の一人であり、その魅力と強さについて語られている。

小野伸二は、サッカーの熱狂的なファンやジャーナリストから高い評価を受けており、彼のプレーがどれだけ魅力的で幸せなものだったかが描かれている。

小野伸二は、サッカーに対する情熱と楽しさを貫いてきた選手であり、その姿勢が彼のプレーに表れていると述べられている。

【書評】変わらないことの価値:小野伸二著『GIFTED』

幸脇 啓子

おそらく、日本で最も「天才」と評されたサッカー選手は、小野伸二ではないか。幼い頃からその名を日本中に知られ、見るものを虜(とりこ)にしてきた名プレイヤーは、44歳でユニフォームを脱いだ。本人が語るW杯の記憶、ケガとの戦い、そしてサッカーの魅力。そこに感じるのは、鋼のような強さだった。

2000年代の前半、スポーツ雑誌の編集部で働いていた時に何度も耳にした名前が「小野伸二」だ。

日韓W杯で一気に盛り上がったサッカー熱はその後も冷めることなく、さらに「欧州サッカー」という人気コンテンツも加わり、テレビでも新たに専門番組がいくつも始まるほど。

担当していた欧州サッカーの取材は移動距離も長く、たいていの場合、一緒に行動しているライターやカメラマンたちと食事かサッカーの話をして時間が過ぎていった。

新米サッカー編集者だった私の「印象に残っている日本の選手は誰ですか?」という質問に、ベテランジャーナリストのほとんどが挙げる名前こそ、小野伸二だった。

「〇〇の時の伸二のプレーは本当にすごかった」(たいていエピソードが違うところがまた、小野伸二のすさまじさを表していると思う)

「伸二を撮っていると楽しいんだよね」「練習だといつもいたずらばっかりでさ……」

オノシンジというキーワードが出ると、みんなどこか幸せそうな顔で話し出したことを、今もよく覚えている。

彼らは日本代表がW杯に初めて出場した1998年よりずっと前からW杯を取材していて、いわば日本サッカー界の生き字引。マラドーナやペレ、クライフなど世界のトップクラスの選手のプレーを間近で目にしてきている人たちだ。そんな彼らが、「世界で戦える」と胸を高鳴らせた日本人選手が、小野伸二だったのだ。

その小野伸二が、サッカーを始めた少年時代からサッカー選手を引退する2023年までを自ら綴ったのが本書だ。

とにかくサッカーがしたくてたまらなかった少年は、才能を開花させて各年代の日本代表に選ばれ、名門・清水商業から浦和レッズに入団。1998年のフランスW杯では、日本人最年少のW杯デビューを果たす。2002、06年とW杯は3大会に出場し、フェイエノールト(オランダ)ではUEFAカップ優勝。Jリーグでは浦和レッズ、清水エスパルス、コンサドーレ札幌などに所属した。

ピッチに現れる小野伸二はいつも笑顔でボールと戯れ、周りを笑顔にしていた印象だ。本書でも何度も「僕はサッカーが大好きだ」とストレートに書いていて、そのまっすぐさは、1ミリも揺らがない。

「『サッカーが楽しみで仕方がない』という思いが持つ力。

それは大人になった今も消えることがない。

僕にとってはどこに行っても楽しいのがサッカーだった。

『サッカーって楽しい』という基準が小野伸二という選手の根幹にあった。」

プレーする場所が小学校時代のグラウンドから、W杯のスタジアムになっても、チームメイトが同級生から世界のトッププレイヤーになっても、小野伸二が自然体で何も変わらないように見えたのは、「どこでプレーするか」ではなく「楽しいかどうか」という自分の中の絶対軸があったから。

そうでなければ普通、18歳で初出場したW杯でのファーストタッチで、いきなり相手選手の股を抜こうとは思わないだろう。当時の監督・岡田武史氏も本書で「あのプレーが象徴しているけれど、伸二は、どんなときも変わらない」と語っているくらいだ。