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公園のSLは昭和天皇が乗った「お召し列車」だった! きっかけは1枚の写真 74年の時を超えて判明した衝撃の事実
高知市の公園にあるSLが、昭和天皇が乗ったお召し列車だったことが高知さんさんテレビの取材でわかった。
谷内家で発見された写真がきっかけで、お召し列車であることが明らかになり、驚きと感動が広がっている。
昭和天皇が1950年に高知に来て市民に歓迎された様子や周辺の視察活動が詳細に記録されている。
資料から蒸気機関車の型番が特定され、高知市の交通公園に保存されているSLがお召し列車だったことが判明。
昭和時代の歴史を今に伝える貴重な発見として、地元の歴史愛好者や観光客から注目を集める様相。
写真を通じて息づいていた過去の風景が、新たなる光を浴びて蘇る様子が伝えられている。
取材を受けた関係者たちは新たな発見に驚きを隠せず、SLを管理する岡村チーフや高知県の岡田主幹も将来の観光資源として期待に胸を膨らませている。
昭和天皇の訪問を象徴する蒸気機関車の存在が、高知の文化遺産として後世に残される可能性に期待されている。
![公園のSLは昭和天皇が乗った「お召し列車」だった! きっかけは1枚の写真 74年の時を超えて判明した衝撃の事実](/img/article/20240712/6690db0edc98b.jpg)
高知市の公園にあるSLが、昭和天皇が乗ったお召し列車だったことが高知さんさんテレビの取材でわかった。きっかけは高知市の住宅で見つかった古い写真。74年の時を超えて判明した歴史の1ページをひもとく。
物語の始まりは6月上旬。高知市に住む谷内君代さん(73)と息子の大作さん(42)が見つけた一枚の写真だった。
君代さんは「亡くなった父の古い写真を見つけて、昭和天皇が握手をしようとしているところ(が写っていた)。父も出くわして写真を撮ったことに初めて気が付いた」と話す。
24年前、76歳で亡くなった君代さんの父・茂時さんは旧国鉄の職員。「デゴイチ」の愛称で親しまれたD51形蒸気機関車を運転していた。
谷内家で発見された1枚の写真には、蒸気機関車の前で記念撮影をする茂時さんが写っている。別の1枚には昭和天皇が写っていて、いずれも撮影された日付は不明だ。
政治学者で明治学院大学の原武史名誉教授に写真を見てもらうと、「日の丸の旗を交差している。菊の紋がある」として、お召し列車であることは「明らか」だという。
谷内家の写真の蒸気機関車は、1950年に昭和天皇が高知に来たときに乗ったお召し列車だったことがわかった。
この衝撃の事実に大作さんは「びっくり。言葉じゃ言い表せない」と話した。
大作さんの中学3年生の息子・柚樹さんは、写真を見てさらなる驚きの事実に気付いた。
柚樹さん:
見覚えがあって。調べたら、これだった
蒸気機関車のプレートに記された「C58 335」という型番が、大作さん親子がよく遊んだ高知市比島町の交通公園にある県内唯一のSLと一致した。
つまり、交通公園のSLはお召し列車だったことがわかったのだ。
この事実を交通公園の岡村和昭チーフに伝えると、「子供が遊ぶ昔の単なるSLとしか思っていなかった。まさか、そんな歴史があるものとは思いもよらなかった」と驚いていた。
交通公園を管轄する高知県の岡田竜志主幹は「交通公園に宮廷列車(お召し列車)があることは知らなくて、皆さん、一様に驚いている。全国から列車を見たいという方もいると思う。高知県としては貴重な観光資源になると思う」と期待を寄せている。
昭和天皇は戦後の復興状況を視察するため、全国各地を回った。
「高知県行幸誌」によると、昭和天皇は1950年3月21日に宿毛入りし、4泊5日で東洋町まで巡幸。22日は土讃線の四万十町・影野駅から高知駅までをお召し列車で移動した。
当時の記録映像のナレーション:
高知県に入った陛下は3月22日、高知市の奉迎場にお成り、ここでも市民4万人の盛大な歓迎を受けた。23日、半日のご休養をとった陛下はねずみ色の背広にゴム長というご軽装で浦ノ内湾の浅瀬、シラサギの磯に立たれた。生物学者天皇としてこの日、陛下は海生動物の採集に旅の疲れを癒やした。24日には黒潮とどろく室戸岬の突端に足を運ばれ、雄大な風景や珍しい海浜植物を興味深くご覧になった