どう食べ、どう生きるかは「個人の自由」だ…仕事と育児に挟まれた文筆家が取り戻した「自分の本音」

AI要約

馬田草織さんの波乱に満ちた半生と、自分を見つめ直す過程が描かれています。

自分に必要なものを理解し、他人のお手本に縛られずに生きることの重要性が語られています。

個々の人間の環境や状況によって、生き方や食べ方も異なることが強調されています。

どう食べ、どう生きるかは「個人の自由」だ…仕事と育児に挟まれた文筆家が取り戻した「自分の本音」

文筆家でポルトガル料理研究家の馬田草織さんは、会社からの独立、出産、離婚、一人娘のワンオペ子育てと、「レシピ通りにはいかない」半生を歩んできました。反発した思春期、仕事に夢中な時、ふと何のやる気もしなくなる瞬間ーー。どれも、目に見えないホルモンが人を乗っ取っていたのだと、馬田さんは振り返ります。抗えないものから自分を守るには、自分でご機嫌を取ること。料理を作りながら、本当に大切なものは何なのか、見つめなおしてみるのはいかがでしょうか。7月3日発売の『ホルモン大航海時代 ポルトガルと日本で見つけた自分のための鱈腹レシピ23』より、一部抜粋してお届けします。

スマホの画面に映るすらっと背の高いモデルが着る服は、身長152cmの私の参考にはならない。いまから10分間で塾前の娘に夕ごはんを作らなければならないときに、干ししいたけはひと晩水に浸けて戻しましょうと書いてあるレシピは参考にはならない。人にはそれぞれ事情があるわけで、たとえ素敵なお手本を掲げられても、それは私に必要なものとは違う、ということがままある。

自分に必要なものは自分が一番よくわかっている。はずなのに、思えば随分と、自分の本音をないがしろにしてきてしまった。

これまでずっと、どこかの誰かが掲げたお手本という名の、こうあるべき的呪いに縛られてきた。女の子は赤、男の子は黒のランドセルにはじまって、女子の制服はスカート、髪のゴムの色は黒か紺、肩に髪がかかったらゴムで結ってパーマ禁止、社会人になると新人は会社の飲み会に参加必須、そんな場では、モラル欠落上司のコップにビールを注ぎながら、唾と一緒に飛び出す下品なセクハラ発言を華麗な受け身で笑って流さないと、一人前とみなされない。好んで独身でいるのになぜ結婚しないと余計なお世話をやかれ、結婚したら議論の余地なく夫の姓になり、結婚祝いが届いたら、礼状は妻が書くものと言われ盛大にモヤりつつ書いた。そして母親になったら、仕事をしようがしまいがワンオペで子どもを育てることが当たり前とされ、挙げ句、言われなくても当然家事もするという既成概念に囚われてきた。

いつも強烈な違和感や嫌悪感を持ちながらも、おかしいと訴えたり、嫌だと口にすることができないできた。でも、もうこれ古すぎるじゃろ。

はるか昔にどこかの誰かが作ったお手本は、まるで閉店しかけた喫茶店の、もう長いこと放置されたままの食品サンプルのように色褪せて、みすぼらしく埃をかぶっている。立派な産業廃棄物だ。それなのに、いまだ片づけられずに入り口の目立つところに並んでいて、見るたびに心底がっかりだ。これ、片づけますね、私たちで新しいのを作るので。

女にも男にもいろいろいて、人にはそれぞれ事情がある。だから誰かが作った正解っぽいお手本は、もうなんの役にも立たない。人はそれぞれに条件の違う個であり、一般的な人なんていない。

なにをどう食べどう生きるかは、本来とても個人的なことなのだ。