非の打ち所なし! 究極の美女モデル登場で、今思うこと【大野真理子「美人はリスク」】

AI要約

現代社会における美の追求とSNSでの比較についての考察。

人との比較や承認欲求が幸せを遠ざけることについて。

自分が楽しいと感じることを追求することが幸せへの近道であるという結論。

非の打ち所なし! 究極の美女モデル登場で、今思うこと【大野真理子「美人はリスク」】

ある日インスタを見ていたらタイムラインに流れてきたのが、 たわわな胸を揺らしながらDJブースで汗を流す美女 。 キラキラとバランスの良いパーツが、小さな顔にキュッと集まっている 。思わず見入ってプロフィールまで飛ぶと、男性からの賞賛のコメントの嵐(♡などを含む)。あれあれ、でも表情全部似てないかい? そもそもずっとDJしているとか、なんかおかしくない?  ……!!! と、ここでやっと気づく。インスタのこの美女が、AIだということに 。「なーんだ」。 そんな思いと同時に、どこかほっとした自分がいました 。○○ちゃんより○○ちゃんの方がかわいい、キレイ…そんな 美の協奏曲みたいなものがまもなく終わりを迎えるんだなって 。AIは、いわゆる“キレイの頂点”をこれからさらに学んでいくだろうし、そんなAIにかないっこない。だって、私がめっちゃ整形して絶世の美女になったとしても(例えばの話ですw)、次の日にはそれを超えるAIが出てくる世界。 もうね、くだらない争いなんです。生まれもった造形で、目が大きいとか顔が小さいとか比べ合うことって。なぜなら、その頂点はAIだから 。

最近思うんです。 人とキレイを比べることって本当に意味がない。それって結局、幸せになれないなぁって 。もちろん、 キレイに限らず人生に対してもそう。人と比べてマウントを取り合ったり、自分の勝手なものさしで他人を評価してみたり、なんだか疲れたり虚しくなったりしませんか?  でもこれ、きっとSNS社会がそれを助長している部分もありますよね。 インスタを開けば、みんなのキラキラとした一部分だけが流れてくるから、気づけば承認欲求がヒートアップしがち 。でも承認欲求が過度になればなるほど、不幸になる気がします。もちろん、誰にでも認められたいという思いはあるけれど、他人からどうみられているか、どう評価されているか、という部分にとらわれすぎると、幸せの本質からかけ離れていく。 じゃあ、どうしたら幸せになれるのか?  私が出した結論は、 純粋に自分が楽しいと思えることをやること 。そこに理由なんてなくていいんです。ちなみに私は 美容の中でも美白が特に好き なのですが、ぶっちゃけそこに大義名分なんてないんです。 白くする遊びが、ただただ楽しい(笑)。無理に頑張っていないし、そこにストレスが一切ないから、きっと伸び代もある 。それより、インスタのリールの数字伸ばさなきゃって頑張る方が私にとってストレス(笑)。ちなみに、純粋に楽しいと思えることは人によって違うから、華やかに遊ぶことが好きな人もいるし、 私みたいに家でひっそり化粧品を出したり塗ったりが楽しくて幸せなタイプもいる 。本当に人それぞれ、幸せって違うと思います。