「60歳までは生きられない」全身火傷の男性が生還後に目の当たりにした“現実” 一度は死を考えた彼が人生を謳歌できるようになるまで

AI要約

22年前にガス漏れの爆発事故で火傷を負った濱安高信さんの奇跡的な生還と退院後の苦しい経験についての軌跡。身体の40%の火傷を負いながらも生き延び、退院後は自殺を考えるほどの苦悩に襲われた苦しい日々を乗り越える姿。

火傷の場所やステージによって生存率が異なること、濱安さんの両足の状態が危険だったため、命を助けるために救命チームが両足の切断を提案。しかし、医局の上層部が両足を残す手術を決定し、濱安さんは足を残すことができた。

濱安さんの回復過程での苦労や成長が描かれ、看護師との連携や自力で食事をする喜び、リハビリ中の貧血の克服など、克服してきた困難と生活の喜びが綴られる。

「60歳までは生きられない」全身火傷の男性が生還後に目の当たりにした“現実” 一度は死を考えた彼が人生を謳歌できるようになるまで

 今から22年前、ガスボンベのガス漏れが原因の爆発事故に巻き込まれ、全身40%の火傷を負った濱安高信さん。当時の濱安さんの深刻な状態から奇跡的な生還、退院にいたるまでの様子はテレビ番組でも取材され話題に。植物状態から、無事に回復できたものの、退院後の暮らしは「何度も自殺を考えるほどだった」という。SNSで自身の辛い経験を投稿するにいたるまでにどんな軌跡があったのかを語ってくれた。

 火傷が身体の30%を越えると危険だと一般的に知られていますが、火傷を負ってしまった部分によってだいぶ変わります。腕や足の火傷の危険度は幾分下がりますが、心臓近くや内臓のあたりに30%以上の火傷を負ってしまうとかなり厳しいと思われます。火傷には3段階のステージがあり、一番重いステージ3の火傷は、壊疽(えそ)という皮下組織が死滅してしまう場合が多いので、そこをどれだけ治せるかが生死を分けることになります。私は両足がステージ3で、このまま(足を)残していたら危ない状態でしたので、上層部の方から救命チームに「命を助けるには両足を切断するしかない」との判断が伝えられたそうでした。しかし、20歳のこれからの青年の両足を切ってしまったら将来を絶望してしまうだろうと、救命チームが判断を下した医局の上層部に逆らって、両足を残す手術をしてくれたおかげで今も(細いですが)足が残っています。

 当時、ご飯を自力で食べる映像が放映されましたが、そこまでは毎日毎分毎秒を必死に生きていました。最初は氷の一欠片が1日の食事で、溶かして飲むことから始まりました。ナースコールを押せる力が無かったので、始めのうちは動かせる舌をチッと鳴らしてナースコール代わりに看護師さんに合図を送っていました。動かせるのは指先からで、腕が動かないので、ナースコールを手に固定してもらい呼べるようになるまで恐怖との闘いでした。

 夜になると看護師さんの数が少なくなってしまいます。人工呼吸器は溜まった淡を取るために意外と簡単に外れてしまい生命維持装置が「ビビビ」と大きな音で知らせてくれますが、一歩遅れると手遅れになってしまうことがあるので、夜は寝ずに、朝方、看護師さんが増えて安心できるまで起き続けていました。植物状態の時に死ぬほど辛い経験を味わったので、今度は身体が徐々に動く喜びが大きく、少しでも何か動かせたり、自由になるだけで嬉しく感じていました。暗闇の時期から、目を覚まして久しぶりに太陽の陽射しを浴びた時、これまで当たり前だと思っていた全てのことが実は有難いものなのだと思うようになりました。

 当時のテレビ番組の放送では、別の病院へ転院して命が助かり、そこからさらに転院するまでが映されていましたが、その後のリハビリの方が大変でした。寝たきりの状態が長かった私はベッドの角度をあげていくだけで、すぐに貧血になってしまうほど、体重を支えることが出来ずにいました。