ギャグ漫画家・おおひなたごうさん 教員との「両輪」続けるわけ

AI要約

ギャグ漫画家であるおおひなたごうさんの30年以上に及ぶキャリアや教員としての活動、代表作「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」の成功などについて紹介。

若い頃から漫画に親しんでおり、幼少期から漫画を描くことが好きだった経緯や高校時代に経験した逆境を振り返る。

デビュー後、多くの連載作品を手がける中で、2000年代に行き詰まった時期を経て作風の変化や復活について述べ、現在の活動状況や未来に向けた意気込みを語る。

ギャグ漫画家・おおひなたごうさん 教員との「両輪」続けるわけ

 デビュー30年あまり、これまで連載作品を50本以上も手がけてきた、ギャグ漫画家・おおひなたごうさん(54)は、京都精華大マンガ学部の教授でもある。今もなお、連載作品を持つ現役漫画家と教員の「両輪」で走り続ける思いを聞いた。【前本麻有】

 目玉焼きを食べる時、いつ黄身をつぶす? ショートケーキのイチゴを食べるタイミングは? 焼き肉で白飯は食べる?

 食べ方は人それぞれ。「こうやって食べた方がおいしく感じる」「なるべく食器を汚したくない」など、食べ方を通じて人々の生き様や多様性を描いた作品「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」は、かつてない異色のグルメ漫画として2014年にアニメ、17年にはドラマになったヒット作だ。

 この作品を連載していた13年、当時「ギャグマンガコース」を新設した京都精華大の教員となった。両立は大変ではと問うと「連載を持つ忙しい現役の漫画家が教えてこそ、学生にとって説得力があると思う」と、頼もしい。

 学生に対しては技術的なことよりも、漫画に対する考え方に重きを置く。例えば「テーマ」の大切さ。テーマがないと読者の記憶に残りづらく、一方で説教臭くなると面白くない。「テーマはひっそりと忍ばせる。自分が描きたいと思う題材を見つけ、表現していく中でテーマを見つければいい」と学生たちの背中を押す。自身も20歳前後の若い学生と接し、他の教員がどんな指導をしているか、大学という環境で「大きな刺激を受けている」と語る。

 秋田県羽後町出身、21歳でデビューした。幼少期から赤塚不二夫、藤子不二雄らのギャグ漫画が好きだった。5~6歳でオンボロ車に乗って少年が世界を旅する漫画を60話も作り、中学時代は仲が良かった友人とどちらが面白い漫画を描けるか競い合った。

 高校時代は、生命の危機が2度もあった。入学まもなく敗血症にかかり、「血液の3分の2を入れ替えた」。2年時には体育の授業で砲丸が頭部に直撃し、気がつくと病院のベッドの上。幸い、後遺症などはないが「天真らんまんだった性格が、ちょっと人見知りするようになったかも」と笑いながら振り返る。

 そんな波瀾(はらん)万丈な青春時代を経て、専門学校卒業後はデザイン会社に就職するも、漫画家を諦められず5カ月で退社。漫画コンテストに投稿していると編集者の目に留まり、デビューにつながった。一気に仕事が増え、1997年ごろは11本の連載を抱え、1カ月に30回もの締め切りに追われたという。

 ところが、2000年代になると漫画雑誌全体の売り上げが落ち、雑誌のギャグ漫画コーナーも減った。自ら「迷走期」と称するほど行き詰まったが、自分の殻を破るべく、ホラー漫画の作画、子育て漫画に挑戦したり、低頭身からリアルな頭身で人物を描くなど作風を変えたりして復活、躍進を遂げた。

 まもなく55歳を迎える。現在、月刊コミックビーム(KADOKAWA)で自分が愛してやまないレコードをテーマにした「レコード大好き小学生カケル」を連載中。「好きなものを思いっきり描けている。今が一番楽しいかもしれない」と、苦節を経たからこその手応えを感じている。これまで「ストーリーやキャラクターの考案など漫画家は本当に大変。逃げ出したい時もあった」と打ち明ける。それでも「漫画家であることに誇りを持っている。限界が来るまで描き続け、教員との『両輪』を保ちたい」と力を込めた。

 ◇おおひなたごうさん

 1969年生まれ、秋田県羽後町出身。91年「コミックギガ」(主婦と生活社)にて「心はマリン」でデビュー。2013年に京都精華大マンガ学部特任講師に就任し、現在は教授を務める。