一文字空けるか、空けないか…「紙に文字を書く」のが「ふつう」ではなくなった今、揺れ始めている「日本語の表記」

AI要約

日本語表記の揺れについて、大学の学生に提出された文章を通じて検証している。

紙媒体の減少と共に、一文字空けや原稿用紙での手書きが一般的でなくなっている現状を説明している。

現在はパソコンやインターネットを通じて記事を公開し、紙の使用がほとんどなくなっている。

一文字空けるか、空けないか…「紙に文字を書く」のが「ふつう」ではなくなった今、揺れ始めている「日本語の表記」

 日本語の表記が揺れている。

 たぶん、大和の昔から、おそらく文字記録が始まったころから揺れて、いまも揺れている。

 人が使っている言語だから当然だ。

 いつものことである。

 なので、いまの揺れ具合について気づいたところを書くまでである。

 大学で学生の提出したものを読みながら、そうおもっている。

 私が見ているのは通信課程の学生なので、みんな若者というわけではなく、二十代から五十代あたり、ときにもう少し上の人たちの文章も見る。

 いまの日本語表記で揺れ始めているのは、「一文字空け」と段落である。

 かつて、原稿用紙に手書きで書いていた時代は、雑誌の文章でも、冒頭は一文字空けていた。昔から続いている雑誌は、いまもその型を守っているのが多い。

 記事が始まる冒頭は、一文字ぶんの空白があって、始まる。続けて書いているぶんには句点「。」があってもそのまま詰めずに書く。ただし、改行すると、また一文字空ける。一文字下げるとも言う。一文字下げて、文章を始める。原稿用紙で書くときは、一文字ずつマスがあるから、そこを空ければいいだけであった。

 何をいまさら説明しているんだ、と感じる人もいるだろう。気持ちはわかる。それを守って何十年、いまさらきちんと聞く話ではない、という気分になってくる。

 でも、これくらいきちんと説明しないと、何が合っていて何が違っているのか、まったく分からない人が、いまはふつうにいる。

 おそらく、あまり紙の書籍を読んでいないのだろう。

 紙の本を売っている店(書店です)を日常に見かけなくなり、紙の本を買うのがふつうではなくなり、紙に文字を書くのがふつうではなくなり、そしてふつうが変わっていく。

 そもそも「紙の原稿用紙に手で文字を書く」というのがふつうではなくなった。

 小学校中学校の生徒の場合は、まだ手で書くことがあるだろうが、それは身体能力を鍛える時期でもあるからで、身体に文字などを馴染ませる訓練である。

 大人が、原稿用紙で手書きの文字を書くことは減ってきている。大学生が手書きのレポートを提出することも減っている。

 プロの文章家も手書きの文字はあまりもう書かない。

 以前も書いたが、私の場合は、プロのライターを始めたころ(昭和59年/1984)年にはすべてが手書き原稿だったが、昭和の終わりには(昭和64年/平成元年/1989)ワードプロセッサーで書くのがふつうになっていた。

 平成以降、もう、紙に原稿を書いていない。

 機械(ワープロからパソコン)で書いて、紙にプリントアウトして、それをファクシミリで送っていたが、ファクシミリを使わなくなって、原稿はメールで送るようになってからは(目安として2000年/平成12以降)、紙の原稿そのものを作ることがなくなった。

 それでも、原稿が載る媒体が市販の雑誌だったときは、最後だけは紙に印刷されて売られていた。その量も減ってきている。

 いま書いているこの原稿などは、パソコンを使って書いて、メールで送って、インターネットの記事として公開される。

 紙はついぞどこにも介在しない。