【天空の城ラピュタ】驚くべき誕生秘話。宮崎駿監督が盟友の映画制作費を捻出するための企画だった(金曜ロードショー)

AI要約

スタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』が日テレ系の金曜ロードショーで8月30日午後9時から放送。

天空に浮かぶ伝説の城「ラピュタ」を舞台に、主人公の少年・パズーと不思議な飛行石を持つ少女・シータの出会いと冒険を描いた作品は、世代を超えて多くの人に愛され続けてきました。

『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ』と『風に吹かれてⅠ』によると、高畑勲監督が製作するドキュメンタリー映画のプロジェクトが原因で『天空の城ラピュタ』が誕生した驚くべき経緯が紹介されています。

宮崎監督が6000万円もの著作権収入を手にした際の心境や、そのお金を盟友の高畑監督のプロジェクトに惜しみなく投入した背景が明かされています。

【天空の城ラピュタ】驚くべき誕生秘話。宮崎駿監督が盟友の映画制作費を捻出するための企画だった(金曜ロードショー)

スタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』が日テレ系の金曜ロードショーで8月30日午後9時から放送。

天空に浮かぶ伝説の城「ラピュタ」を舞台に、主人公の少年・パズーと不思議な飛行石を持つ少女・シータの出会いと冒険を描いた作品は、1986年の劇場公開以来、世代を超えて多くの人に愛され続けてきました。

この不朽の名作の「誕生秘話」をご紹介します。

『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ 』(文春ジブリ文庫)と『風に吹かれてⅠ』(中公文庫)。

これらの本には当時、月刊誌『アニメージュ』の編集者で『天空の城ラピュタ』に製作委員会のメンバーとして加わった鈴木敏夫さん(現在のスタジオジブリ社長)の回想が掲載されています。

そこでは『天空の城ラピュタ』は「宮崎駿監督が盟友の高畑勲さんが監督するドキュメンタリー映画に出資して資金難になった末に思いついたもの」という驚くべき事実が明かされていました。

1984年の『風の谷のナウシカ』の上映が終わったあと、宮崎監督の個人事務所「二馬力」では、高畑さんを監督に福岡県柳川市の水路網「堀割」を舞台にした映画『柳川堀割物語』のプロジェクトを進めていました。

現地を取材した高畑さんは「どうせ作るならアニメーションじゃなく本物で作った方がいい気がする」と話し、実写でのドキュメンタリー映画に路線変更します。これにはスタッフも「どこで上映するのか、お金はどうするのか」とも困り果てていたそうです。

実はこのとき、宮崎監督のもとに『風の谷のナウシカ』のヒットで6000万円もの大金が入っていました。

当時はアニメ映画の監督に著作権収入はなかったのですが、製作委員会に加わっていた鈴木さんが、宮崎監督に著作権収入が発生するように契約を結んでいたことが原因でした。

宮崎監督は、これまで見たことのない金額を手にして「ボロ家に住んでるからいい家に住んでみたい。好きな車も買いたい」と戸惑いながらも、「しかし、そんなことをしたら世間から何を言われるかわからない。見栄と意地を張ってもう少し意味のあることに使いたい」と語ったそうです。

その結果、宮崎監督は盟友である高畑さんのドキュメンタリー映画制作にナウシカで得たお金を注ぎ込んだのでした。