『虎に翼』が描く「悪意なき加害」が浮き彫りにする、日本人の「悪気はないんだから」の功罪

AI要約

『虎に翼』では、「善意と悪意」に縛られない様々な行動や感情が描かれており、特に注目すべきは「悪意なき加害」のテーマである。

穂高教授や梅子の家族、杉田兄弟など、様々なキャラクターが悪意を持たずに加害者となる姿が描かれており、善悪の二元論で捉えきれない人間模様が浮かび上がる。

寅子が悪意なき加害者たちに対してどのように向き合うかが物語の核となって描かれている。

『虎に翼』が描く「悪意なき加害」が浮き彫りにする、日本人の「悪気はないんだから」の功罪

『虎に翼』には、「善意と悪意」「善人と悪人」の二元論で処理できない「行動」や「感情」が多数描かれている。中でも形を変えつつ、幾度となく繰り返されるのは、「悪意なき加害」だ。

最初に印象的だったのは、穂高教授(小林薫)のエピソードだ。穂高教授は寅子にとって初めて話を遮らないで聞いてくれた大人で、寅子を法曹の世界に導き女性法曹の道を切り拓くと同時に、寅子の父の冤罪を晴らしてくれた人でもある。

一方、寅子の妊娠を知ると、「君の勤めは、子を産み母になることではないのかね?」「雨垂れ石を穿つだよ。君の犠牲は決して無駄にはならない」と“善意”で寅子を法曹の世界から排除した。

序盤から中盤で“悪人”に見えていたのは、梅子(平岩紙)の家族だろう。梅子を見下し、家庭に縛り付け愛人を作った夫や、家族の「扶(たす)け合い」という名目で梅子を家事要員や介護要員として扱う義母や子どもたちに対し、梅子は亡き夫の財産の相続も嫁と母としての立場も、全てを放棄した。

この梅子の決断と自立には快哉の声があがったが、梅子の家族がみんな悪人かというと、おそらくそうではない。梅子の夫そっくりの長男はともかく、義母は梅子と同じく家制度の犠牲者だったのだろうし、梅子の次男は戦争の犠牲者だし、梅子から夫も三男も奪った夫の愛人もまた、「そういうふうにしか生きられなかった」社会構造による犠牲者と言える。しかし、「悪人」ではなくとも梅子にとっては間違いなく「加害者」だ。

加えて、父の愛人とねんごろになり、「そういうふうにしか生きられなかった可哀想な人」などと綺麗事を言って庇う三男も「悪人」ではないし「悪意」もないが、梅子の気持ちを裏切り、傷つけた「加害者」だ。そして、梅子の意思を確認せずに祖母を扶養すると言ったこともまた、本人としては「善意」のつもりでも、梅子に対する「悪意なき加害」である。

さらに、悪意なき加害は新潟編でたっぷり描かれた。

例えば、弁護士の杉田太郎(高橋克実)&次郎(田口浩正)兄弟の親切かつ強引なお節介。「田舎は持ちつ持たれつ」と言い、寅子と娘・優未の二人暮らしの家に八百屋や魚屋からおかずを届けさせたりするが、仕事で便宜を図るよう要求し、断られると笑顔で舌打ちをする。

また、大地主で地域の有力者・森口(俵木藤汰)に戦死した兄のことを言われてつかみ合いになった高瀬(望月歩)が森口に訴えられそうになると、杉田兄弟は“持ちつ持たれつ”で穏便に解決しようとした。

しかし、寅子はその解決法をきっぱり否定する。うやむやに処理せず、高瀬を注意処分するという判断は、田舎の息苦しさを告白していた高瀬の今後を考えた上でのことだった。

「ああいう人たちに借りなんか作ってほしくないから。あなたを確実に傷つけて、心にできたかさぶたをことあるごとに悪気なく剥がしていくような人たち。彼らにずっとヘイコラしてほしくない」(寅子/『虎に翼』より)

「悪意」のみで見るなら、良かれと思って自分のルールや地域のルール、田舎ならではの人付き合いを押し付けてくる杉田兄弟よりも、彼らを「ああいう人たち」と一まとめにして嫌悪感を示す寅子の方が、よほど「悪意」がある気もする。しかし、相手に実害を与えているのは、寅子よりも相手の領域を侵してくる杉田兄弟の方だろう。