アニメ化で話題沸騰『負けヒロインが多すぎる!』の面白さとは? セオリーを覆す異色のラブコメを読み解く

AI要約

ライトノベル『負けヒロインが多すぎる!』は、ハーレム展開のラブコメとは異なり、主人公の温水和彦が「負けヒロイン」たちを観察するユニークな構造を持つ作品である。

物語は温水和彦が通うツワブキ高校を舞台に、恋に破れたヒロインたちの姿を描きながら、温水の観察眼に焦点を当てて展開される。

作品の独自性として、愛知県豊橋市を舞台にした設定や実在する場所の描写、個性豊かな登場人物たちが魅力的に描かれている。

アニメ化で話題沸騰『負けヒロインが多すぎる!』の面白さとは? セオリーを覆す異色のラブコメを読み解く

 ヒロインが多すぎる話はハーレム展開のラブコメならいくらでもあるが、そこに「負け」がつくのは雨森たきび作のライトノベル『負けヒロインが多すぎる!』(ガガガ文庫)が唯一無二。2024年7月からスタートしたTVアニメがキャラクターの表情を豊かすぎるくらいに描いて好評で、原作の方も主人公の温水和彦が恋に破れる”負けヒロイン”たちを傍観しているようで、ハーレム展開の爆心地に知らずと立たされているユニークな構造で楽しませてくれている。

 ツワブキ高校1年の温水和彦は、友人はおらずいつもひとりで本を読んで過ごしていて、それをまったく苦にしていないという達観系のぼっち少年。その日もファミレスで新刊のライトノベルを開いて読んでいたら、近くの席で同じクラスの八奈見杏菜という女子が、こちらも同級生の袴田草介というイケメン男子に強い口調で何かを言っていた。

 袴田には姫宮華恋という名の意中の女子がいるようで、八奈見はその華恋を早く迎えに行けと急かしているらしい。「頑張ってね。振られたら、私が愚痴くらい聞いてあげるから」と言う八奈見の言葉は、前々から親しかった袴田に好きな女子ができたことを、応援しているかのように聞こえる。そして直後に、「……謝らないでよ、馬鹿」とつぶやいた八奈見が、実は袴田のことが好きで、それでも彼のことを思って送り出したカッコ良い女子のように見えてくる。

 それは大きな間違いだった。袴田が去った後のテーブルで八奈見がしたのは、袴田が飲み残したグラスを手に取り、ストローを口にくわえて彼への思いと未練を行動で示すもの。その悲しくも恥ずかしい行為を、同級生の温水に見られていることに気がついた八奈見は、顔を真っ赤にして飲み物を吹き出した。

 TVアニメ版『負けヒロインが多すぎる!』の第1話「プロ幼馴染 八奈見杏菜の負けっぷり」の冒頭で繰り広げられたこのシーンで八奈見が見せた、くるくると変わる表情の面白さと、その後に八奈見が繰り広げた、幼馴染みだから半分付き合っていたようなものだといった持論のユニークさに心を引かれ、とんでもないアニメが始まったと思った人も多かった。あるいはとてつもなくアクロバティックならラブコメが始まったと。

 誰かのことが大好きだが、その恋がかなわないことから温水は、八奈見のことを"負けヒロイン“と見なしつつ、諦めようとしない八奈見のことを観察する状況に陥る。ここで気になるのが、ラブコメというジャンルにおけるヒロインという存在だ。主人公が密かに好意を寄せているなり、お互いに意識し合っているなら普通のラブコメだが、最初は無関心でもそこから少しずつ惹かれ合っていくような展開でも、やはりラブコメと言えるだろう。佐伯さん『お隣の天子様にいつの間にか駄目人間にされていた件』(GA文庫)がそうした展開でドキドキさせてくれている。

 『負けヒロインが多すぎる!』はそうしたセオリーからも外れている。八奈見は温水からファミレスで借りた代金を返すため、弁当を作って温水に届けながら袴田を狙って色々と作戦を練っている。主人公に関心を向けないヒロインを果たしてヒロインと呼べるのか? こうした構図は八奈見だけでなく、陸上部のエースとして期待されている焼塩檸檬や、温水が入った文芸部に所属する小鞠知花でも繰り返される。いずれも立派な"負けヒロイン”だが、温水を主人公としたラブコメのヒロインの座にはつかない。

 もしかしたらこれは、"負けヒロイン”という存在の悲喜こもごもを観察して紹介するメタ的な構造を持ったコメディ作品なのかといった思いも浮かぶが、それでは主人公に身を添えて読む読者も、傍観者としての立場を求められてどこか煮え切らない思いを抱えることになる。そうではないからこそ、『負けヒロインが多すぎる!』は歴としたラブコメとして人気となり、コミック化されアニメ化もされてヒットした。

 それぞれが意中の人に振られた"負けヒロイン”たちを観察する温水に、彼女たちの感情が少しずつ傾いていくように感じられること。それが、温水の立場から作品を読んでいる人たちの心をゾクゾクとさせるのだ。

 当の温水自身が、そうした自分への視線にまるで気づかない朴念仁である点も、自分から行動して失敗したくない昨今の気質を現しているようで同感できる。妹の佳樹にもしかしたら彼氏ができたかもしれないと思い込んで行動する割に、佳樹の本心に気づけないのか気づかないようにしているのか分からないが、ストレートに確かめようとしないところも笑いを誘いつつ、そういう羨ましい立場に自分も立ってみたいと読者を思わせる。

 “負けヒロイン”と究極の朴念仁という、ラブコメの当たり前を外した設定の巧妙な組み合わせによって生み出される、苦笑と感涙が渦巻く世界が、『負けヒロインが多すぎる!』を数多あるラブコメ作品の中でも異色で突出した存在にしていると言えそうだ。

 舞台の独自性も、この作品の大きな魅力だ。TVアニメの第1話のラストで、八奈見がポケットからいきなりちくわを取り出してかじる。なぜちくわ? 理由はこの作品が、愛知県豊橋市を舞台にしているからだ。愛知県民なら「昔も今も変わらぬ旨さ、豊橋名産ヤマサのちくわ」というキャッチフレーズを誰でも知っている。八奈見がかじったのもヤマサのちくわで、食いしん坊のヒロインであるという情報とともに、舞台が実在する場所だと分からせた。

 原作にはちくわは登場しないが、温水たちが通っているツワブキ高校が豊橋鉄道渥美線に実在する愛大前駅のそばにあることが書かれていて、豊橋でも名門の時習館高校がモデルになっていることが分かる。アニメでは時習館高校がそのままの雰囲気で登場する。第3話「戦う前から負けている」で温水や八奈見ら文芸部員たちが訪れたビーチも、田原市に白谷海水浴場として実在しており、原作にもそのまま書かれている。原作にはほかにも豊橋や西三河の各地が登場しており、読んだら確かめに行きたくなる。

 アニメにはまだ出ていないが、原作では佳樹の友だちの権堂アサミが、東三河に特徴的な「じゃん」「だら」「りん」という語尾を付けて話して、方言ヒロインとしての存在感を見せてくれる。ゴンちゃんもまた"負けヒロイン“の列に連なることになるが、どういったシチュエーションかは読んで確かめよう。

 ほかにも焼塩が好意を抱いていた綾野光希を奪い"勝ちヒロイン”となった朝雲千早が、なかなかにユニークな性格でちょっとした騒動を引き越すエピソードがあり、文芸部の先輩の眼鏡女子、月之木古都が文学的に”腐った”小説を書いて生徒会からにらまれるエピソードもあってと、ドタバタとした学園ストーリーを楽しめる。

 最新の『負けヒロインが多すぎる!7』(ガガガ文庫)には、入学早々に問題を起こして停学になった白玉リコという少女が絡んでさらなる騒動を引き起こす。もちろん彼女も"負けヒロイン”。その負けっぷりを観察しつつ味わいながら、爆心地に立つ温水自身はいつか"勝ちヒーロー”になるのか、相手はいったい誰なのかを想像するのも面白そうだ。