寺田靖範による19年ぶりの最新作「江里はみんなと生きていく」10月に公開

AI要約

寺田靖範による最新作「江里はみんなと生きていく」は、22歳の西田江里さんの日常を追ったドキュメンタリー作品。母と暮らしながら重い障害と向き合う江里さんの姿が描かれている。

映画では江里さんの生活に関わる人々の成長や関係性も描かれ、地域社会での共生の模範も示唆されている。

江里さんが自らの生活や夢を諦めずに乗り越えていく姿が、視聴者に元気と勇気を与えるメッセージを込めて描かれている。

寺田靖範による19年ぶりの最新作「江里はみんなと生きていく」10月に公開

「妻はフィリピーナ」「もっこす元気な愛」の寺田靖範による19年ぶりの最新作「江里はみんなと生きていく」が、10月下旬より東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開されるとわかった。

本作は千葉県浦安市で生まれ育った22歳の西田江里さんの日常を記録したドキュメンタリー。母・良枝さんと自宅で暮らす江里さんは重い障害を持っており、ケアスタッフに支えられながら毎日を送っている。12年という撮影期間の中で、気管切開して人工呼吸器を装着するか否かの選択を迫られる場面や、母から自立してひとり暮らしを始める姿、医療的ケアが必要になる不安や葛藤が映し出されていく。ケアスタッフの成長や、結婚・出産など人生の転機にも立ち会ってきた江里さん。ケアをする・されるといった立場を超え、ともに生きる関係性を育んでいく江里さんと仲間たちの様子もカメラに収められた。

寺田は「浦安の街で生きる西田江里さんと良枝さん。そしてその命を支えるヘルパーや医師や看護師たち。この暮らしぶりを映像にとどめたいと思った」「この実践は夢物語ではなく、現実だ。この試みが今後、発展していくのか、もしくは衰退していくのか。その将来は楽観できないが、本作が江里さんを中心とした営みが浦安に確かに存在したという証になり、悩み苦しみながら生きている人たちのひとつの道標になれば幸いである」とつづった。

さらに江里さんは「この映画を見て、色々な人が元気になってくれたらいいなと思います。この映画を見て、私みたいに重い障害があっても地域で暮らせるんだなって思ってほしいです。障害があってもやりたいことや夢を諦めないでほしいです」と述べた。あわせて本作を鑑賞した東京大学先端科学技術研究センター教授の熊谷晋一郎、全国社会福祉協議会会長 / 元厚生労働事務次官の村木厚子からのコメントを以下に掲載している。

■ 寺田靖範 コメント

浦安の街で生きる西田江里さんと良枝さん。そしてその命を支えるヘルパーや医師や看護師たち。この暮らしぶりを映像にとどめたいと思った。

江里さんの障害は重い。食事や排せつをはじめ、呼吸するのも他者の助けが必要だ。ひとりでは何もできないが、実に幸せそうに生きている。それを可能にしているのは、母親の良枝さんが筆舌に尽くしがたい苦労を重ねて、この地に様々な福祉サービスを根付かせてきたからだと言っても過言ではないだろう。

これについては、一般的な図式だと、母親が娘のために様々な福祉サービスをこの街に作ってきたということになるのだが、わたしは、江里さんが母親をしてこの街に福祉サービスを作らしめたのだと考えている。社会福祉法人<パーソナル・アシスタンスとも>は、江里さんが江里さんのために作ったのだが、それは決して自身のためだけでなく、支援を必要とする市民すべてに役立つように作られたものだ。

ここ数年、福祉の人材不足は深刻で、利用者は充分な支援サービスを受けることが難しくなっているが、〈とも〉は100人をこえるスタッフが、地域に暮らす1000人ほどの市民の生活を支えている。

わたしは、無批判に良枝さんや〈とも〉を称賛する者ではない。この取り組みを一般化するのも簡単ではないだろう。しかし、浦安の街で展開されているこの実践は夢物語ではなく、現実だ。この試みが今後、発展していくのか、もしくは衰退していくのか。その将来は楽観できないが、本作が江里さんを中心とした営みが浦安に確かに存在したという証になり、悩み苦しみながら生きている人たちのひとつの道標になれば幸いである。

■ 西田江里 コメント

この映画を見て、色々な人が元気になってくれたらいいなと思います。この映画を見て、私みたいに重い障害があっても地域で暮らせるんだなって思ってほしいです。

障害があってもやりたいことや夢を諦めないでほしいです。

私の周りには、たくさんの人が居てくれています。その人たちがいなかったら私の生活はありません。私はその人たちの力や知識を使っています。私だけだったら何もできません。色々な人がいるので、嬉しいことや楽しいこともあるけど、悲しくなったりすることもあります。私はそれも含めて、1人暮らしを続けていきたいです。私のそんな生活の様子を知ってほしいです。

■ 熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター教授)コメント

命をつないで、たくさんの記憶を分かち合う。江里さんの家に遊びにきた小学校の同級生の一人が口にした「ここは極楽」という言葉が響く。江里さんのまわりに自ずと発生し、受け継がれるコミュニティは、孤立が蔓延する現代社会にとっての希望だ。

■ 村木厚子(全国社会福祉協議会会長 / 元厚生労働事務次官)コメント

私たちは日頃、生きる意味を突き詰めて考えることはありません。仕事や家事や育児や介護や人間関係や、いろいろな目の前のものに翻弄されながら、その日その日を生きています。「生きること」の意味を改めて考えることなどめったにありません。その「生きること」の意味や重さ、そこに込められたエネルギーの大きさをこの映画は改めて教えてくれました。

医療的ケアが必要な人がどう暮らし、どう成長するか、家族が何をし、ケアのスタッフがどう支え、医師や看護師や、学校や友人がどうかかわるのか、そうしたことを私たちはよく知りません。その姿をこの映画は丁寧に描いています。もちろん、何を映像として残すか、何を見せるかは十分に考え選んでいるに違いありません。それでも私は「余分なものを足したり引いたりしていない」という印象を受けました。それは、この映画の誠実さなのだと思います。その分、とても重たい作品ですが、生きることの力も喜びもしっかり伝わってきます。

映画や本は見る人の年齢や経験によっても見方が変わると思います。若草物語を久々に読んだときに、4人の姉妹の物語ではなく、その母親の物語として読んでいる自分に気づきました。この映画を私はやはり母親の物語として観ました。子育て四訓というものがあります。「乳児はしっかり肌を離すな 幼児は肌を離せ、手を離すな 少年は手を離せ、目を離すな 青年は目を離せ、心を離すな」というのだそうだ。わが子育てはこうはいかず反省ばかりですが、それでも少しずつ手を離してきました。振り返って、なぜ親は手放せるのを考えてみると、はじめは、子供が成長するから、一人で生きていく力をつけるからだと思っていました。しかし、わが子たちが中年に差し掛かった今になってみると、子どもたちは親の他に、友人、先生、恋人、同僚などたくさんの頼る人を作って親から旅立っていくのだとわかりました。私は、東大の教授、熊谷晋一郎先生に教えていただいた自立の定義が大好きです。「『自立』とは依存しないことではない。『自立』とはたくさんのものに少しずつ依存できるようになることである」というものです。

重い障害のある江里さんを支える医療や福祉は、現実問題としてまだまだ十分ではありません。そうした環境の中で、親としてどう手を離すか、この作品は江里さんの物語であるとともに、親御さんの勇気の物語でもありました。見終わって、「江里はみんなと生きていく」という映画のタイトルが心に沁みました。