『オールナイトフジコ』初代リーダー「看護師として就職も考えた」 芸能活動に感じた可能性

AI要約

フジテレビ系深夜バラエティー番組『オールナイトフジコ』の初代リーダー&センターを務めた友恵温香は今年3月、大学卒業と同時に番組も卒業した。現在はフリーでインフルエンサーやタレント活動を行っている。

関西医科大2年時にミスコン『MISS CIRCLE CONTEST 2021』でグランプリを獲得し、マルチタレントとして活動を開始。幼少から音楽が得意で、将来は音楽活動を本格的に行いたいと考えている。

経歴や活動内容など、23歳の友恵温香の多様な可能性と夢について取材が行われている。現在は次のステップに進むための準備期間を過ごしているようだ。

『オールナイトフジコ』初代リーダー「看護師として就職も考えた」 芸能活動に感じた可能性

 フジテレビ系深夜バラエティー番組『オールナイトフジコ』の初代リーダー&センターを務めた友恵温香は今年3月、大学卒業と同時に番組も卒業した。現在はフリーでインフルエンサーやタレント活動を行っている。関西医科大2年時にミスコン『MISS CIRCLE CONTEST 2021』(通称:ミスサー)でグランプリを獲得し、マルチタレントとして活動を開始。一方、看護師と保健師の国家試験に合格するなど堅実な一面もある。「今は次のステップに進むための準備期間」。さまざまな可能性を持つ23歳の夢を聞いた。(取材・文=福嶋剛)

――オールナイトフジコを卒業して4か月がたちました。

「あっという間でしたね。今はフリーで活動していて、インフルエンサーやフジコーズの卒業生たちとイベントに出たりしています。音楽活動をやりたいので家で作曲をしたり、次に向けての準備期間みたいな毎日を過ごしています」

――幼少から音楽が得意だったそうですね。

「はい。母がプロのエレクトーン奏者をやっていてテレビ番組でエレクトーンを弾いていたので『私もプロの演奏家になりたい』と思い、小さい頃から母の特訓を受けていました。音楽に関しては、めっちゃ厳しい人でよく怒られました」

――芸能活動に興味を持ったのは。

「小学生の頃『JSガール』というファッション雑誌で表紙を飾っていたモデルの工藤美桜さんに憧れて、6年生の時、読者モデルに合格しました。でも、撮影の日と学校の運動会が重なって両親も当時は反対していたのでモデルを諦め、そのまま吹奏楽部の強豪校の中学に入りました」

――楽器は何を担当していましたか。

「クラリネットです。子どもの頃にエレクトーンの特訓で鍛えた根性で毎朝7時から夜遅くまで部活を頑張りました。結局、関西では金賞を獲れたんですが、全国大会には行けなかったんです。高校に入ると、エレクトーンは続けたんですが、大好きな祖父が薬剤師をやっていて『私も将来は薬剤師になりたい』と思うようになり、今度は勉強を頑張りました」

――ミスコンに応募したきっかけは。

「大学に入った時がコロナ禍で1年生の時は学校にも通えず、勉強以外は急に暇になってしまいました。それで『何か挑戦したい』と思い、インスタの広告でミスサーを見つけて軽い気持ちで応募しました」

――やってみていかがでした。

「私、ライブ配信だけは絶対にやりたくなくて、その前に誘われたミスコンも配信があるのでお断りしたんです。ところが、軽い気持ちでミスサーに応募したらライブ配信があることを知らなくて『どうしよう』って(笑)。最初は恐る恐るやってみたんですけど、逆にファンのみなさんが『こうやるんだよ』と丁寧に教えて下さって、『ちゃんとコミュニケーションが取れる場所なんだ』と分かってからは割と楽しくできました」

――配信で頑張ったことは。

「好きな曲のリクエストを募ってエレクトーンで演奏したり、『〇人集まるまで配信続けます』みたいな企画をやっていました。意外と気負いはなくて、私の気がつかない部分をファンのみなさんがサポートしてくれたので、『完ぺきには出来ないけれど、一緒に協力しながら頑張れている』という感覚がありました。でも、1個だけ歌が苦手だとずっと思っていたので、コンテスト期間中は意地でも人前では歌いませんでした。結局はその後、フジコーズで歌ったので、ファンのみなさんに『もっと、早く歌えばよかったのに』って突っ込まれました(笑)」

――グランプリを獲得した時の感想は。

「もともと自信がなかったので、ファイナリストに選んでいただいた時も『ファンのみなさんの負担になったらどうしよう』とかいろいろと考えてしまい、『グランプリを獲りたい』という気持ちを口に出すことが、ずっとできなかったんです。でも、あるファンの方が『グランプリを獲りたいなら、その気持ちを言葉で伝えた方がいいよ』とコメントしていただき、その言葉に励まされて切り替えることができました。だから、グランプリを獲った瞬間は『やったー』よりも『ありがとう』でしたね。両親も京都から駆けつけてくれました。でも、決まった瞬間、周りのお客さんに目立つくらい夫婦で抱き合って喜んでいたので、めっちゃ恥ずかしかったです(笑)」