【追悼】フランソワーズ・アルディが残した、60年代の象徴的なヘアスタイルをエピソードと共に振り返る

AI要約

フランソワーズ・アルディはフレンチポップスのアイコンであり、世界中から愛された歌手だった。

彼女は先進的なヘアスタイルやエレガントなイメージでも知られ、ファッションのミューズとして活躍した。

フランソワーズは女性の解放の象徴として、社会的圧力の中で新たな風を吹き込んだ存在だった。

【追悼】フランソワーズ・アルディが残した、60年代の象徴的なヘアスタイルをエピソードと共に振り返る

2024年6月11日、80歳でこの世を去ったフランソワーズ・アルディ。ジェーン・バーキンをはじめ歌手たちとも親交が深く、フレンチポップスのアイコンとして世界中から愛された。歌声のみならず、支持を集めた象徴的なヘアスタイルやそれらにまつわるエピソードを、各時代の写真と共に仏版「ELLE」が振り返る。

フレンチポップスのアイコンであり、ファッションのミューズ、そして永遠のセンチメンタリストであるフランソワーズ・アルディ。いつのときも彼女はアバンギャルドで、先見の明があり、世の中に影響を与える女性のひとりだった。

1962年に名曲「男の子と女の子(Tous les garcons et les filles)」をこの世に送り出したフランソワーズは、類まれな才能と歌声で永遠の存在として今もなお、記憶に残り続ける。さらにはその思慮深さや優しさ、エレガンスという側面においても、後世にインスピレーションを与え続けるだろう。

「パコ ラバンヌ」のミューズでもあった彼女は、ヘアスタイルに関しても先進的だった。

フランソワーズは、国内トップブランドである「カリタ」の創設者、マリア&ロージィ・カリタ姉妹に信頼を寄せ、長期間に亘って親交を深めていたと話すのは、「カリタ パリ ビューティ ハウス」のヘアスタイリスト兼アーティスティックディレクターのジョン・ノレだ。

彼女が歌手として活躍し始めた60年代から今日に至るまで、あらゆるヘアスタイルに挑戦したフランソワーズについて、象徴的な物語があると話す。

「1955年頃、フランソワーズがカリタ姉妹のサロンを初めて訪れたとき、彼女は自身のアイコンとなるヘアスタイルを探し求めていました」

「フレンチコスメのパイオニアともいえるカリタ姉妹は、マドモアゼル アルディのために、当時としては信じられないほどモダンなヘアスタイルを考案しました」

「それは、毛先をすいたテーパードレングスにアシンメトリーなカーテンフリンジを組み合わせたものでした。これが、今では彼女のアイコン的なスタイルとなりました」と、レノは振り返る。実際、この髪型はフランソワーズにとって単なるヘアスタイルを超越したものとなった。

彼女にとってこのヘアスタイルは自由、特に女性の解放の象徴だった。女性の外見に対して、現在では考えられないほどの社会的圧力が重くのしかかっていた時代に、フランソワーズは新たな風を吹き込んだといえるだろう。