阪田三吉ゆかり「将棋ファンの聖地」、80年の歴史に幕…大阪・新世界「三桂クラブ」

AI要約

大阪の新世界にある将棋クラブ「三桂クラブ」が80年の歴史に幕を閉じる。コロナ禍による経営難が決断につながった。

店内では将棋や囲碁を楽しむ様子があり、若者から高齢者まで幅広い客層が訪れていた。

新世界は将棋クラブが数軒あり、最盛期には多くの愛好家や棋士が集まっていたが、時代の変化で徐々に減少していった。

 天才棋士・阪田三吉(1870~1946年)ゆかりの地で、「将棋ファンの聖地」として知られる大阪・新世界(大阪市浪速区)。その一角で唯一営業を続けてきた老舗の将棋クラブ「三桂(さんけい)クラブ」が30日で閉店する。往時は全国から腕試しに訪れる愛好家や棋士でにぎわったが、コロナ禍で常連客の足が遠のくなどし、約80年の歴史に幕を下ろすことになった。別れを惜しむ常連客が連日店を訪れている。(北島美穂)

 「王手!」「あぁ、負けた」。今月下旬、約50の将棋盤や囲碁盤がずらりと並ぶ三桂クラブの店内では、高齢の常連客や初めて訪れる中年女性、若者らが盤を挟んで向かい合っていた。将棋の駒は焦げ茶色に変色し、角は丸みを帯びている。中にはマス目が薄く消えかかった将棋盤もある。

 新世界はNHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」(1996~97年)の舞台としても知られ、シンボルの通天閣の足元には阪田の功績をたたえ、大きな「王将」の駒を載せた碑が立つ。西日本将棋道場連合会によると、新世界には戦後、将棋クラブが6軒ほどあり、最盛期の1970年代まで変わらなかったが、ネット将棋の流行や娯楽の多様化で減っていった。

 三桂クラブは46年頃、3代目席主(せきしゅ)伊達利雄さん(59)の祖父が商店街「ジャンジャン横丁」で始めた。「ふたりっ子」に登場する「銀じい」のモデルになったアマチュア棋士の大田学さん(2007年に92歳で死去)も常連客の一人。プロ棋士や仕事帰りの会社員らも立ち寄った。ピーク時には200人以上の客が訪れて1階の席が埋まり、2階に案内する時もあった。

 見物客が椅子を持ってきて、ガラス窓越しに店の外から食い入るように対局を見るのが常だった。

 伊達さんが父親の後を継いで席主になったのは約35年前。対戦相手を決めるのが仕事の一つだ。「勝っても負けても『楽しかった』と帰ってもらえるような相手選びでないといけない」と、棋力を合わせるだけではなく客の思いもくみ取る。「お客さんは十人十色。合った相手を見定めるのがこの店の持ち味」と話す。