無類のゲーム好きだったマイケル・ジャクソンが唯一残したビデオゲーム『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』開発秘話「居るだけでオーラが見える人でした」【死後15年】

AI要約

マイケル・ジャクソンの死後15年を追悼し、唯一のゲーム企画『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』の開発秘話を明かす。

マイケル・ジャクソンがゲームを愛し、セガとの交流が『ムーンウォーカー』開発のきっかけになった。

マイケルが所有していた大型ゲームマシンやセガとの関係性、死後のネバーランドの運命について。

無類のゲーム好きだったマイケル・ジャクソンが唯一残したビデオゲーム『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』開発秘話「居るだけでオーラが見える人でした」【死後15年】

2009年6月25日。「KING OF POP」と称されたマイケル・ジャクソンがこの世を去った。あれから15年。生前マイケルが企画から携わった唯一のビデオゲーム『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』のゲーム開発を行った元セガの鶴見六百(つるみ・ろっぴゃく)氏に、マイケルとの交流秘話を聞いた。

2009年6月25日。ロサンゼルスのビバリーヒルズに近いホルムビーヒルズから911コールがあり、12時26分に救急隊が現場へ到着するも、「KING OF POP」と称されたマイケル・ジャクソンは、すでに心肺停止、呼吸停止状態だった。

UCLA附属病院に緊急搬送し、蘇生を試みるが、14時28分に死亡確認。世界のミュージックシーンを席捲し、多くの人々に愛されたマイケルは、55歳という若さで還らぬ人となった。マイケルの死因は麻酔薬「プロポフォール」の人為的な投与と一説には言われており、その死については、今なお謎が多い。そんな衝撃の死から今年で15年になる。

マイケルの音楽シーンにおける活動やその功績に関して、今さら多くを語る必要はないだろう。一方でマイケルがビデオゲームを愛したことはあまり知られていない。

本記事では、ゲームを愛したマイケルが人生で唯一企画立案したゲーム『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』(※)の開発にまつわるエピソードを紹介したい。

(※)セガとマイケル・ジャクソンのコラボは、後に1993年に導入された大型ライドマシンAS-1のナビゲーターとして映像で登場している。また『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』は海外ではパソコン版も発売された

『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』の開発は株式会社セガ・エンタープライゼス(現在の株式会社SEGA)とマイケル・ジャクソンとの交流がベースにあった。

当時を知る人が少なくなる中で、断言はできないが、マイケルが「KING OF POP」としてミュージックシーンに君臨し、カリフォルニア州サンタバーバラ郊外に築いたプライベート遊園地「ネバーランド」に大型のゲームマシンを購入、収集したことがきっかけだと思われる。

セガからは大型体感ゲームの『バーチャレーシング』、『マンクスTT スーパーバイク』、『R360』などを購入したと言われており、両者の関係性が育まれていった。新作ゲームが出るとマイケルに欠かさずプレゼントしたり、マイケルが「バッド・ワールド・ツアー」などジャパンツアーで来日した際には、セガ本社やアミューズメント施設を見学したりして、良好な関係が続いた。

しかし、マイケルの死後、ネバーランドにあったゲーム筐体は競売にかけられ、それらは散逸してしまった。