『虎に翼』の「判事餓死事件」を見て考えた…戦場に出ていない「大正生まれ」が抱いていたであろう「悔しさ」と「申し訳なさ」

AI要約

戦後の判事餓死事件についての有名な話が、寅子と花岡の再会を通じて描かれる。

栄養失調で死んだ裁判官の事件が、寅子と花岡の弁当のやりとりを通じて思い起こされる。

小学校時代に教師から聞いた判事の栄養失調死事件に関する衝撃的な話が今も記憶に残る。

『虎に翼』の「判事餓死事件」を見て考えた…戦場に出ていない「大正生まれ」が抱いていたであろう「悔しさ」と「申し訳なさ」

 『虎に翼』では、戦後の判事餓死事件が扱われていた。

 有名な事件である。

 ドラマでは49話から50話にかけてのところ。

 ヒロイン寅子(伊藤沙莉)は大学で同期だった花岡(岩田剛典)に再会した。

 そのとき寅子は司法省の民事局嘱託職員だったが、花岡は東京地裁の判事。

 「いまは経済事犯専任判事として、おもに食糧管理法違反の事案を担当しているよ」と説明していた。

 二人はベンチの腰掛けて並んで弁当をつかうが、寅子は自分の弁当が闇米で作られていることを恥じて隠そうとする。

 花岡は、いや、べつに告発したりしないよ、と笑い、でも彼の弁当はとても少量だった。

 このシーンを見ていて、ああ、花岡は栄養失調で死んじゃうあの裁判官なのか、と気がついて、ちょっと哀しくなった。

 ある年齢以上の人はここで気がついたはずである。

 戦争直後、違法である闇米を食べず、配給米だけで生活して、栄養失調で死んだ裁判官の話はあまりにも有名である。

 戦後、かなりあとになってまで語り伝えられていた。

 昭和22年のこのニュースの衝撃がわかる。

 私は、戦争が終わって13年後に生まれたのだが、でも子供のときに聞かされて、知っている話である。

 小学校三年のときに聞いた。

 1966年(昭和41年)のことである。すでにその判事の栄養失調死事件(1947年/昭和22年)から19年経ったときである。

 担任の教師が、どういう脈絡だったのか、法を守って死んだ判事の話をしたのだ。

 良いことだとも、愚かなことだとも記憶していないので、教師は是々非々の立場から、つまりその行為の是非をジャッジをせずに話してくれたんだとおもう。

 社会の授業だったのか、それとも先生が自由に話す時間だったのか、どちらなのか忘れたけれど、正規の配給米だけで真面目に生きた裁判官が栄養が足りずに死んだという話は、8歳だった私もとても驚いた。爾来、60年近く、覚えている。

 この話をしてくれた担任の教師はいくつくらいだったのか、正確にはちょっとわからない。8歳の少年にとっては大人は大人でしかない。いま頑張って想像して、たぶん、三十代後半くらいだったのじゃないかとおもう。徴兵されてない世代だったはずだ。兵隊経験者とそれより下の人たちの話はあきらかに違っていたから、たぶん戦争に行ってない世代だ。終戦のときに十代の後半から、ひょっとして二十歳くらいだったか、それぐらいの年齢だったのだとおもう。

 戦争に行ってない世代は戦争のことをふつうに話すが、実際に兵士だった人たちは、あまり戦争のことを子供たちに話さなかった。私にはそういう印象がある。

 この教師も判事の栄養失調死にショックを受けたのだとおもう。その衝撃は時間が経って聞いても、きちんと伝わっていた。