時代考証が解説! 紫式部の父為時も苦労した受領と任地の関係とは?

AI要約

2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長のリアルな生涯を追う倉本一宏氏の連載記事。

毎月1、2回程度公開の予定。

ドラマ21話では、検非違使別当を務めていた藤原実資の『小右記』に記録された長徳の変の詳細が語られている。

時代考証が解説! 紫式部の父為時も苦労した受領と任地の関係とは?

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2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。

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 大河ドラマ「光る君へ」21話では、「長徳の変」の顛末が語られた。検非違使別当を務めていた藤原実資の『小右記』の長徳二年(九九六)の巻が残っているおかげで、この事変の詳細が復元できる。詳しくは拙著『紫式部と藤原道長』をご覧いただきたいが、私がなかでも注目しているのは、伊周と隆家に対する公卿社会の反応の差である。

 五月一日、検非違使は定子御在所である寝殿の夜大殿(よるのおとど)の戸を撤(こぼ)ち破り、組入天井や板敷を剥(はが)し、定子を車に載せたうえで大索(おおあなぐり、大規模捜索)を行なった。隆家はその責に堪えず、捕われて出雲へ送られたが、伊周は愛宕山(あたごやま)に逃隠した。なお、定子はこの日、みずから出家している。

 ドラマではききょう(清少納言? )とまひろ(紫式部? )が変装して邸内に入った場面が描かれ、検非違使に囲まれた警備の厳しい邸内にどうやって入ったのだという気もしたが、伊周が馬に乗って邸外に出、愛宕山に逃隠したということは、この時代の警備が案外に杜撰であったことを示している。

 三日、胸病(きょうびょう)を患ったとして皮島(かわしま、現京都市西京区川島)のあたりに留まっていた隆家が、実資に書札(しょさつ)を送り、逗留(とうりゅう)を一条天皇に奏上することを要請した。それに対し実資は、必ず配慮を行なうという趣旨の返事を送り、詮子から天皇に奏上されるよう、指示した。兄の伊周とは異なり、隆家が公卿層と比較的友好な関係を維持していたことを示す事例である。

 政変の発端となった闘乱事件の首謀者でありながら、詮子や一条、検非違使別当の実資とも、連繋(れんけい)が取れているのである。