連続企業爆破事件50年 取材記者が振り返るあの時代と事件の教訓

AI要約

昭和49年8月30日、東京・丸の内で起きた三菱重工ビル爆破事件を含む連続企業爆破事件について、過激派グループ「東アジア反日武装戦線」が犯行を行った。警視庁が捜査を進め、数人の逮捕状を出すなど、事件は50年5月19日に結実した

引き起こされた11件の爆破事件を通じて犯人グループは「狼」「大地の牙」「さそり」という3つのグループに分かれ、警視庁が内偵捜査を行い、リーダーなど合わせて8人が逮捕された

事件当時の時代背景には学園紛争から爆弾闘争が広がり、各セクトが爆発事件に加担する中、三菱重工爆破事件が発生。事件現場では傷ついた人々が倒れ、光るガラスや血だらけの光景が広がり、記者らも当時の恐怖を振り返る

連続企業爆破事件50年 取材記者が振り返るあの時代と事件の教訓

今から半世紀前の昭和49年8月30日、東京・丸の内で発生し死者8人、負傷者約380人を出した三菱重工ビル爆破事件に始まる連続企業爆破事件。産経新聞は、警視庁が犯人グループの過激派「東アジア反日武装戦線」を割り出したことをつかみ、逮捕日の50年5月19日付朝刊で「爆破犯 数人に逮捕状」のスクープを放った。今年1月には、長年逃亡していた桐島聡容疑者が自ら名乗り出た後に死亡。「歴史」に立ち会った記者らが、事件や時代背景について改めて振り返った。

一連の事件では、昭和49~50年に三菱重工ビルをはじめ11件の爆破事件が起きた。東アジア反日武装戦線の「狼」「大地の牙」「さそり」の3グループが犯行声明文を出し、警視庁は9カ月の内偵捜査の末、50年5月19日、リーダーの大道寺将司死刑囚ら8人を逮捕した。

産経新聞は社会部次長兼警視庁キャップだった福井惇氏ら警視庁担当記者を中心にした特別取材班が取材に当たり、逮捕をスクープ。同年の新聞協会賞を代表者として受賞した。今回は当時の警視庁サブキャップ、鈴木隆敏氏、捜査1課担当の生原伸久氏と村上克氏、カメラマンの小野義雄氏の4人に話を聞いた。

■光るガラス、血だらけの人

-事件が起きた当時の時代背景は

鈴木氏「昭和40年代から各大学で起こっていた学園紛争は終わったが、一部は爆弾闘争に移った。46年12月には警視庁警務局長の土田國保さんの自宅が爆発され、妻が亡くなるなど、46年の暮れにはさまざまな爆弾事件が起きた。各セクトが爆弾闘争にのめりこみ始めていた」

-爆弾闘争に走る集団が出る中、49年8月30日、三菱重工爆破事件が起きた

生原氏「事件は夕刊の締め切りギリギリの時間。私が警視庁の刑事部長室の前を通りかかったときに『突き上げ』があった。捜査1課幹部の部屋に入って窓の方を見ると、第一生命ビルの方角に煙が出ていた。ガス爆発という情報もあったが、爆弾に変わった。そこから事件は始まった」

村上氏「日比谷公園を突っ切ると、三菱重工ビル前で、大勢の人が倒れていて、ガラスが道路いっぱいに雪が降ったみたいに積もってきらきら光っていた。倒れた人はみんな血だらけで動かず、地獄だと感じた」