戦後最悪の凶作「平成の米騒動」で日本人はどうした?(1993-94年)【TBSアーカイブ秘録】

AI要約

平成の米騒動は、1993年から1994年にかけて起きた未曾有の大凶作による米の不足による混乱についての記事です。

冷夏や記録的な長雨による作柄不良、政府の備蓄米不足、米泥棒の出現などが取り上げられています。

細川政権が米の輸入を解禁するまでの経緯が詳細に述べられています。

戦後最悪の凶作「平成の米騒動」で日本人はどうした?(1993-94年)【TBSアーカイブ秘録】

平成の米騒動は、1993年から1994年にかけて起きました。「戦後最悪」「80年に1度」といわれた未曾有の大凶作に、人びとは米を求めて並び、政府は海外からの輸入に踏み切りました。あろうことか米泥棒まで横行したのです。平成のあの豊かな時代に!(アーカイブマネジメント部 疋田 智)

■突然の大凶作?

1993年、日本は冷夏と記録的な長雨に見舞われました。特に米の主産地である東北地方と北陸地方で日照時間が足りず、大規模な作柄不良が発生しました。

冷夏の原因は1991年のピナツボ火山(フィリピン)噴火の影響ではないかと言われています。噴煙が成層圏まで吹き上げられ、太陽光が遮られることで、世界的な冷夏を呼んだというのです。

この年、日本の米の生産量は戦後最低の水準にまで落ち込み、米は貴重品となったのです。

■「米がない!」ので行列とデモと泥棒と

当時の細川政権は、まず備蓄米を放出しようとしたのですが、じつはこの頃、古米、古古米と言われて嫌われた備蓄米は、最初から十分な量がありませんでした。昭和の中後期から「米あまり」「米あまり」と言われ、政府はそれまで減反政策(水田を少なくする政策)を補助金まで払って推進してきたのです。

ところが、気づくと米がありません。その年の収穫は781万1,000トンと、前年比の74.1%にまで落ち込みました(作況指数74)。単純計算で270万トン以上足りなくなったのです。

スーパーの棚にはすでになにもありません。発売日には長蛇の列ができ、人びとは少ない米を手に入れようとしました。

それでも手に入れられない場合は「ヤミ米」に手を出すことになります。いわゆる正規のルートを通らない米という意味ですが、当然のようにその価格は暴騰しました。戦後の話じゃないですよ、平成の世の中で。

ついには、米の生産農家に米泥棒が現れ始めました。平成の世の中で!

■ついに米輸入解禁

細川政権は、ついに米の輸入に踏み切ることを決定しました。これまで「米の自給自足だけは堅持」を原則としてきただけに、異例の対応でした。