24歳京大生や22歳日大生も…神に供えられる「いけにえ」として突進していった特攻隊員

AI要約

若者たちが生存の見込みのない体当たり兵器に乗り込む一億総特攻の背景と特攻隊員の信念特攻隊員の孤独と戦争の神話

24歳京大生や22歳日大生も…神に供えられる「いけにえ」として突進していった特攻隊員

生還の見込みのない体当たり兵器に乗り込んだ若者たち。

戦局挽回、国民の士気高揚を目的に「一億総特攻」を打ち出す軍上層部、メディア。国民は特攻、そして特攻隊員をどう見ていたのか。

『特攻隊員の現実』では、前線、銃後の人びとの生の声をもとに、特攻を再現する。

※本記事は一ノ瀬俊也『特攻隊員の現実』から抜粋・編集したものです。

米軍は1945年1月にルソン島に上陸、3月に首都マニラを占領してフィリピンを事実上制圧した。次なる主目標は沖縄だった。沖縄を日本軍から奪い、日本本土上陸の拠点とするためである。対する日本軍の沖縄戦の位置づけは陸海軍で違っていた。海軍は沖縄戦を一撃講和実現の最後の機会、陸軍は本土決戦準備の時間稼ぎとみなしていた。

沖縄の戦いは、米軍が3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島へ上陸したことにはじまる。対する日本軍守備隊は抵抗を長引かせるため持久方針をとったが、大本営は昭和天皇の「なぜ攻勢に出ぬか」という発言もあり、米軍を沖縄から撃退すべく積極的な攻勢を命じた。

4月6日、南九州から大量の特攻機を含む航空部隊が発進、沖縄近海に集結した米艦隊や輸送船団に第一回の航空総攻撃をおこなった。地上の日本軍もこれに呼応して総反撃に出たが失敗、13日にはふたたび持久方針への移行を余儀なくされた。以後、地上では洞窟陣地に立て籠もった日本軍と米軍が一進一退の激戦をくりひろげ、航空部隊も特攻を含む総攻撃をくりかえしたが、日本軍は5月27日に司令部のあった首里から撤退、6月23日に組織的抵抗は終わる。

これに先立つ3月2日、下志津教導飛行師団長の陸軍少将・片倉衷は部下将兵に対し、「惟うに現下苛烈なる決戦に於て醜敵撃摧最終の勝利を占め、更に皇国三千年の国運を振起し得るは実に懸りて我が特別攻撃隊の双肩に在り 而も之が重大なる任務遂行は実に崇高なる国体観と悠久の大義に生くべき透徹せる死生観に存す」と荘重な訓示をおこなった(知覧高女なでしこ会『知覧特攻基地』)。

特攻は戦局を挽回し、「国体」を護る切り札であるから、隊員はその信念を固めよ、というのである。ここでいう「国体」は天皇を中心とする現下の統治体制であり、特攻の目的はその死守であった。

海軍でも、第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎中将が3月8日、台湾で部下に「時と場所とを選ばず、成るべく多く敵を殺し、彼をして戦争の悲惨を満喫せしめ」よと訓示した。それこそが米国民の「政府に対する不平不満となり、厭戦思想とな」って有利な講和をもたらすからである(故大西瀧治郎海軍中将伝刊行会編『大西瀧治郎』)。

だが、大西は続けて、講和促進とは異なる特攻の目的も訓示していた。

私は、比島に於て特攻隊が唯国の為と神の心になって、攻撃を行っても、時に視界不良で敵を見ずして帰って来る時に、こんな時に視界を良くすることさえ出来ない様になれば、神などは無いと叫んだことがあった。然し又考え直すと、三百機四百機の特攻隊で、簡単に勝利が得られたのでは、日本人全部の心が直らない。

大西はさらに続けて「日本人全部が特攻精神に徹底した時に、神は始めて勝利を授けるのであって、神の御心は深遠である」と述べていた。つまり大西は、この戦争を日本民族復興のため神が与えた試練とみなし、そこに特攻継続の大義名分を見いだしていたのである。特攻隊員たちは、神に供えられるいけにえとして突進していくのであった。

こう言われても、特攻隊員たちはにわかには神がかりにはなれなかったし、周囲の人間もしょせんは他人ごとだと孤立感を覚えた隊員もいた。

例えば、特攻隊員・海軍少尉の佐藤時男(22歳、日大、第14期予備学生)は45年3月13日の日記に、「時には『当って砕けろ』という気持になることもあるが、これもやはり自己に対して余りに無責任だと考えると妙に淋しくなる。武士の意地で引受けては見たが、やはり、同室の者の打興じている様を見ては余りよい気持がしない。俺個人の死は、やはり俺個人にだけ偉大なのであって、〔他人には〕気兼はしているらしくはあるが、異れる細胞の死滅としてしか考えられぬのであろう」と孤独な胸中を記している(海軍飛行予備学生第十四期生会編『続・あゝ同期の桜』)。

必死の特攻隊員は、他人にその胸中を決して理解してもらえない深い孤独のなかにあった。前出の富嶽隊・石川廣中尉は出撃の前に子犬をかわいがっていたし、同じく子犬を抱いた少年特攻隊員の写真も残っている。それは、彼らがものいわぬ従順な小動物と接しているあいだだけは、他人との断絶や孤独を意識せずにすんだからかもしれない。