星空と地上の風景を一緒に収める73歳・星景写真家 終わりなき挑戦

AI要約

永田和俊さん(73)はアストロフォトグラファーで、星景写真を撮影している。彼の作品は星空と地上の風景を組み合わせている。

永田さんはカメラを手に取ったのは自衛隊に入隊してからで、星景写真に挑戦するまでには多くの困難があった。

彼は光害の少ない場所で数時間かけて撮影を行い、作品作りに情熱を注いでいる。

星空と地上の風景を一緒に収める73歳・星景写真家 終わりなき挑戦

 <川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのやうに見えました>。名作「銀河鉄道の夜」の一節には、北上川が貫く岩手・花巻で暮らした宮沢賢治の実体験が反映しているともいう。似た光景は、大きな川や湖がある全国のあちこちで見ることができただろう。銀河鉄道の夜から約100年。地上にあふれる光が夜空を侵す「光害」で肉眼で星を見ることが難しくなった今、デジタルの力を駆使して星空を見上げる人がいる。 (特別編集委員・岩田直仁)

 永田和俊さん(73)=佐賀県鳥栖市=が名刺に刷った肩書はアストロフォトグラファー。「星の写真家」。木星のしま模様やアンドロメダの渦巻き銀河といった天体写真を思い浮かべる人が多いだろうが、永田さんの作品はちょっと違う。星空と地上の風景を一緒に収める星景写真である。

 デジタルカメラが普及し、星空を入れた風景写真を撮影することは簡単になった。ただし、個展などで展示する作品レベルになると、話は変わる。

 たくさんの星を写そうと高感度で撮影するとノイズが増える。感度を下げシャッター速度を遅くすると、地上は鮮明だが、北極星を中心に回転する星は点にならず、線を描く…。

 掲載作品のように、肉眼で見ることができないほど天の川が鮮明な写真になると、「実感としては『撮る』というより、『作品をつくる』。撮影よりも、パソコンの画像編集の方がずっと大変です」と永田さんは語る。

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 永田さんは佐賀県武雄市の生まれ。父は写真屋を営んでいたが、撮影や現像の手ほどきを受けたことは一度もない。20歳で自衛隊に入隊。北海道に赴任した30代半ばにカメラを手にした。「美瑛や富良野の景色が美しくて、風景写真に夢中になった」と振り返る。

 しかし、勤務地が暖かな九州に移ると、写真に対する情熱は逆に冷めた。再びカメラを手にしたのは、54歳で自衛隊を退職し、民間企業に再就職した後。星景写真を知ったのは58歳のときだった。「今では笑い話ですが、当時は『天の川は七夕の夜だけ見える』と思い込んでいたほど無知でした」。さっそく天文の基礎知識を仕込み、星景写真に挑戦。だが、作品づくりは困難の連続だったという。

 納得できる作品レベルに達したのは、新星景撮影法(固定追尾合成法)を習得してからという。

 三脚に星の動きを追尾する小型赤道儀を装着し、広角レンズを付けたデジタルカメラを載せる。赤道儀を止めて写した風景の画像と、夜空の星を赤道儀で追尾して点として写した画像を、パソコンのソフトで合成するのが基本的手法。だが、実際の撮影・合成の作業はかなり複雑だ。

 比較明合成、2値マスク合成…。専門用語を交えながら、勢いを増す口調に情熱がにじむ。

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 写真を撮るのは街明かりなどによる光害が少ない場所。夜は人の気配がほとんどない土地が多い。初めての場所は必ず昼間に訪れ、三脚を立てる場所を決めて現場の安全性を確認する。

 一晩に3カ所前後のポイントを車で移動し、4~6時間かけて撮影する。遠方の場合、車中で2、3泊することもある。「人里から離れた場所なので、ずっとカップ麺を食べてます」。70歳過ぎという年齢を考えれば、かなり過酷にも思えるが、「疲れてぐったり、なんてことはまったくない。楽しいばかり」と笑う。

 これから年齢を重ね、もし屋外の撮影が厳しくなっても作品づくりは続くと語る。編集ソフトの改良は進み、合成作業に熟達するほどに、作品の質は格段に上がるからだ。

 「同じ画像データを使って、5年後、10年後はもっと優れた作品を作ることができる」とうれしそうに話す。手元の画像データは毎月のように増加している。星景写真の楽しみには終わりがないようだ。