筋ジストロフィー、末期がん、ALS…パートナーが難病でも「結婚」に踏み切った3組の夫婦から考える“幸せのカタチ”

AI要約

日本人の生涯未婚率が増加の一途をたどるなか、婚姻制度への疑問や籍を入れることの意義について考える。

一つ目は、車椅子サッカークラブの監督と看護師が出会い、障害を乗り越えて結婚した夫妻。

二つ目は、乳がんと診断された女性と彼女に支えられた恋人が結婚を決意した姿。

筋ジストロフィー、末期がん、ALS…パートナーが難病でも「結婚」に踏み切った3組の夫婦から考える“幸せのカタチ”

 日本人の生涯未婚率が増加の一途をたどるなか、「結婚に興味がない」「事実婚でよい」と、婚姻制度への疑問を持つ人たちは増えている。一方で、パートナーが難病を患っていたり余命宣告を受けたりと、大きな困難を前にしても、あえて籍を入れることを選ぶカップルもいる。病と向き合う3組の夫婦の姿から、結婚することの意義を考えてみる。

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 初めて出会った時は、互いが運命の人だなんて夢にも思わなかった。

 電動車椅子サッカークラブ「横浜クラッカーズ」の監督を務める平野誠樹(もとき)さん(44)は約5年前、車椅子サッカーの体験会と講演を頼まれ、地域の看護学校を訪れた。

 学生たちに質問はないかたずねた時、一人の女性が手を挙げた。「平野さんって休みの日は何をしてるんですか?」。車椅子サッカーのことでも、誠樹さんが3歳の時に発症した遺伝性の難病・筋ジストロフィーによる障害のことでもなく、自分という人間そのものに興味を持ってくれている。面白い人だなと思った。

 2021年、誠樹さんは奇跡的にその女性と再会を果たす。看護学校を卒業し、訪問看護師となった彼女は、偶然にも誠樹さんの担当となったのだ。相変わらず、自分のことを障害者ではなく一人の人間としてまっすぐに見てくれる彼女に、恋をした。

 今は妻となったその女性、美智子さん(40)は誠樹さんとの出会いを「いわゆる“ビビッと来た”というやつです(笑)」と振り返る。だが、誠樹さんが全身の筋肉が徐々に壊れていく進行性の病を患っていることは、不安材料にならなかったのだろうか。

「好きになった人がたまたま筋ジストロフィーだったというだけ。人は誰でもいつか死ぬわけで、看護師という仕事柄、突然亡くなる人もいっぱい見てきました。強がりに聞えるかもしれないけれど、『誠樹はいつ死んじゃうんだろう…』みたいなおびえはないです」

 今年6月1日、二人は互いの家族や親友を招き、ささやかな結婚式を挙げた。籍を入れた理由について尋ねると、こう返ってきた。

「結婚って、自分がこの人のことをどれだけ好きか、大事にしているかを端的に周りに伝える手段だなと。それに、どっちかが死んだ後も残る、『この人と一緒に生きた証』がほしいという思いもありました」(美智子さん)

「いつでも別れられる気楽さは捨てて、身を挺(てい)してでもミチのことを守りたいっていう覚悟ができたんです。障害がある俺が『身を挺してでも』なんて、面白いでしょう? でも、ミチは強そうに見えてすごく繊細だから、精神面では自分が支えるポジションにいたい」(誠樹さん)

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■20代でステージ4の乳がんと宣告され…

 平野夫妻が病気を障壁と思わずに結婚を決めた一方で、パートナーの病が結婚のきっかけとなった夫婦もいる。

 愛知県在住の黒岩雅さん(28)は2年前、左胸のしこりに気づいて病院に行き、乳がんと診断された。腫瘍の大きさは8センチ、しかも肺やリンパ節に転移しているステージ4の末期がんだった。雅さんは不安に押しつぶされそうになりながら、付き合いはじめて約1年半の恋人・大誠さん(26)にLINEをした。

 連絡を受けて、会社からタクシーで病院に駆けつけた大誠さんは、当時の心境をこう振り返る。

「『あと2、3年仕事を頑張ってお互い収入が安定したら結婚しようね』『子どもが産まれたらどんな名前にしようか』なんて二人で話していた明るい未来が、全部遠くなっていくような感覚でした。病院に着くと、妻は『もう治んないんだって』と……。こらえきれず、ロビーで抱き合って泣きました」

 一方の雅さんは大誠さんを待つ間、病状のほかにも大きな不安にさいなまれていた。