平成事件史:戦後最大の総会屋事件(12)ー「今日の午後、田淵を私が調べます」特捜部副部長の“暴走”

AI要約

1991年の第一次証券スキャンダルを巡る捜査の内幕が明らかになりつつある。

野村証券と広域指定暴力団「稲川会」との不正な関係や融資が浮き彫りになり、業界に衝撃を与えた。

石井会長を中心とする暴力団との絡みや、田淵会長ら大物関係者の退任に至る経緯が詳細に明かされている。

平成事件史:戦後最大の総会屋事件(12)ー「今日の午後、田淵を私が調べます」特捜部副部長の“暴走”

バブル期の1991年「第一次証券スキャンダル」が起きる。東京地検特捜部は当時、野村証券から「稲川会」への融資について、実は田淵節也元会長から事情聴取していた。

しかし、関係者によると事情聴取は準備不足のまま行われていたという。同社の事情を詳しく知る田淵元会長の事情聴取は本来、事前に捜査を尽くした上で臨むべきだったが、いったい何が起きていたのか。当時の関係者の証言から知られざる捜査の内幕を描く。

■「稲川会」との関係

「ブツ読み」捜査が引き寄せたのは、野村証券から「総会屋」小池隆一への「現金3億2,000万円」の提供という事実だった。

その見返りは「1995年6月の株主総会の円滑な議事進行」に協力してもらうことである。酒巻社長(当時)にとってこの株主総会は、実現すべき「重要な議案」があった。これを紐解くには時計の針を戻す必要がある。

当時のTBSニュースなどによると、酒巻社長は1958年に法政大学を卒業後、野村証券に入社、債券部門の部長などを経て、バブル期の1988年、副社長に就任した。副社長として「二人の田淵」の全盛時代を支えた。「二人の田淵」とは、姻戚関係はないが同じ姓の大物、田淵節也元会長、田淵義久元社長だ。それぞれ「大タブチ」「小タブチ」と呼ばれた大功労者である。

その両田淵が退任に追い込まれたのが1991年の「第一次証券スキャンダル」だった。

当時、広域指定暴力団「稲川会」の石井進前会長は、株価をつり上げるために「東急電鉄株」を買い占めていた。あろうことか野村証券と日興証券が、その購入資金を系列ノンバンクを通じて石井前会長に融資していたのである。野村の系列ノンバンクからの融資は「約160億円」に上った。

さらに同社は「東急電鉄株」を全国各支店の一斉推奨銘柄として販売、つまり業界最大手が暴力団の手掛けた「仕手戦」を後押したとして、世間の批判を浴びた。

「稲川会」の石井前会長は、バブル期は国内最大の暴力団「山口組」のナンバー2、宅見勝若頭とともに、「経済ヤクザ」と呼ばれていた。

1986年に稲川会2代目を襲名。山口組と一和会の抗争を調停したことはよく知られている。また「平和相互銀行」の問題では岸信介らの依頼で住友銀行側に付いて、同社による平和相銀の吸収合併を陰で支えた。

特捜部によると石井前会長はこの功績により、1989年、住友銀行側から「謝礼」として、茨城県のゴルフ場「岩間カントリークラブ」を譲り受けたとされる。

竹下総理誕生の際には、右翼団体「皇民党」の街宣活動による攻撃、いわゆる「褒め殺し」に苦慮していた竹下、金丸側が「東京佐川急便」の渡辺社長に相談。渡辺社長は、親しくしていた石井前会長に解決を依頼。相談を受けた石井前会長が仲介に動き、右翼の街宣活動を中止させた話は、今も語り継がれている。