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なぜ「大東亜戦争」と呼びたい?
日本の戦争呼称について、日本近代史の専門家が解説。日本人の戦争観やアジアにおけるリーダーシップの意識について考察。
「大東亜戦争」の起源や歴史的背景、政府の意図に関する解説。戦後の検討から現在の用いられ方までを詳細に述べる。
現在の「大東亜戦争」という言葉の復権について、日本のアジアにおける地位や意識との関連性に焦点を当てる。
![なぜ「大東亜戦争」と呼びたい?](/img/article/20240703/668484a0414cf.jpg)
陸上自衛隊第32普通科連隊の公式X(ツイッター)が「大東亜戦争」という表現を使いました(その後削除)。日本近代史が専門の明治大学文学部教授の山田朗さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
◇ ◇ ◇ ◇
――先の戦争をどう呼ぶか、定まりません。
山田氏 日本人の手によって戦争の実態が十分に解明されてこなかったからではないでしょうか。特に、日中戦争が日本人にとってなんであったかが問い直されないまま、今に至っています。
――中国をどうみているかに関係します。
◆日清戦争が転換点です。それまで日本人には、文明の中心は中国・インドだという漠然とした意識がありました。ところが、日清戦争では、日本は欧米の文明を受け入れた文明国で清国は野蛮な国だ、「文明と野蛮の戦いだ」とされ、政治家や知識人があおり、一般にも広がりました。大東亜戦争という呼び方もその流れで見なければなりません。
◇「大東亜新秩序」から
――大東亜はどこから出てきた言葉でしょうか。
◆「大東亜」は1940年に出てきた言葉です。それ以前は東亜新秩序でした。38年に近衛内閣で東亜新秩序声明を出しています。東亜新秩序は、日本と、日本のかいらい国家である満州国と、「日本と協力する中国」を意味していました。
40年9月に、日本軍の北部仏印(フランス領インドシナ、現ベトナム)進駐が行われます。この政策を決定する時に「大」をつけて、「大東亜新秩序」という言葉が作られました。
東亜を中核とした大きなエリアという意味でしょうか。単に大きいだけではなく、偉大なという意味も含んでいます。
――地理的な意味だけではないのですね。
◆大東亜の地理的範囲は一度も定義されたことがありません。たとえば、インドが含まれるかどうかはその時々で変わります。当時の地図などを見るとインドが含まれていることも多いのですが、ドイツと世界分割の取り決めをした時には、インドはソ連圏とされました。都合よく使われる、あいまいな概念です。
◇膨張主義を宣言
――当時の政府が大東亜戦争と呼んだ理由はなんでしょうか。
◆41年12月に対英米戦争が始まって宣言します。同月12日に閣議決定します。同じ日に内閣情報局が追加発表しますが、「大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するもの」と定義しました。
大東亜新秩序、つまり大東亜共栄圏の建設を目的とする戦争と言ってしまえば、膨張主義的な戦争と宣言したことになります。12月8日に出された、天皇による宣戦の詔書では自存自衛としか言っていません。ところがその直後に、政府自身が隠れた目的を明らかにしてしまったのです。政策の手段としての戦争だとしているので、当時としても国際法違反です。
◇背景に日独伊三国同盟
――本音が出てしまったということでしょうか。
「大」をつけたことが大事です。世界を相手にした戦争だという意味が明確になりました。
背景には欧米中心の国際秩序への挑戦があります。「大東亜」はドイツとの交渉でよく使われました。大東亜における指導性とか、大東亜における優位性のような言い方をします。
独伊が欧州で新秩序を目指すことに対応して、日本が大東亜新秩序を作る構図です。ドイツにひっぱられた言葉遣いです。日独伊三国同盟の言葉で、日本単独の言葉ではありません。
――戦後は使えなくなりました。
◆GHQ(連合国軍総司令部)から政府が公的に使ってはいけないと指定された言葉の一つです。言い換えとして、太平洋戦争という言葉が定着します。
◇使われなくなった「太平洋戦争」
――太平洋戦争という言葉は最近では使われなくなっています。
戦後40年が節目でした。85年に「アジア太平洋戦争」や「アジア・太平洋戦争」という名称が提唱されました。「アジア・太平洋戦争」のほうが多数派です。
太平洋戦争では、インド・ビルマ戦線や中国戦線が抜け落ちてしまいます。太平洋戦争という言葉が長く使われたのは、日本人の戦争観のなかからアジアの部分が欠けていたことの表れです。
――「アジア・太平洋戦争」もあまり定着していません。
◆当時の政府の名称としては満州事変、支那事変、大東亜戦争の三つがありますが、戦後の歴史学でも、この3段階はほぼ前提になっています。
そのうえで、3段階の連続性を重視する人は15年戦争と言いますし、断絶を重視する人は別の言い方をします。
アジア太平洋戦争やアジア・太平洋戦争は、もともとは3段階の三つ目の大東亜戦争、太平洋戦争の言い換えのはずだったのですが、全体を指す、15年戦争の言い換えでも使われるようになります。広い意味と狭い意味の両方で使われ、混乱しています。
◇現実を認めたくない
――そのなかで大東亜戦争の言葉も復権してきます。
◆ターニングポイントは、戦後50年にあたって、日本による過去の植民地支配と侵略を認めて謝罪した村山富市首相談話が出た95年です。村山談話に対する危機感から、自民党の「歴史・検討委員会」が作られ、ここで大東亜戦争という言葉が使われます。
――今の問題でもあるのですね。
◆大東亜戦争という言葉は、現在のアジアに対する日本の意識の反映でもあります。日本がアジアのリーダーでありたいという考え方が反映しています。経済力などで近隣諸国に抜かれた現実を認めたくないから、大東亜という日本がリーダーシップをとったアジアの秩序を美しいものに見せたいのです。
日中戦争の時に使われた暴支膺懲(ぼうしようちょう、中国をこらしめる)のような考え方は今もあります。大東亜戦争という言葉にはそのことが反映しているのです。(政治プレミア)