21歳のときに、宝くじで約32億円を当てた。それが私のすべてを変えた(海外)

AI要約

ティム・シュルツ氏は21歳で宝くじに当選し、大学卒業後に引退生活に入ったが、人間関係の悪化を経験。

お金では幸せを買えないと語りつつも、時間と機会を買うことでストレスが減るというシュルツ氏の言葉。

記事は、1999年に当選したティモシー・シュルツ氏の宝くじ当選にまつわるエピソードを対話形式で紹介。

21歳のときに、宝くじで約32億円を当てた。それが私のすべてを変えた(海外)

ガソリンスタンドの店員として働いていたティム・シュルツ氏は、1999年、21歳の若さで宝くじに当選した。

シュルツ氏は大学を卒業してすぐに引退生活に入ったが、人間関係が悪化した。

シュルツ氏はお金で幸せを買うことはできないが、時間と機会を買うことはでき、ストレスが減ると話す。

以下の語り口調のエッセイは、1999年にパワーボール宝くじを当てたティモシー・シュルツ氏との対話をもとにしており、長さとわかりやすさの点から、編集を加えています。

パワーボールくじで2800万ドル(約31億9200万円[※1999年当時の114円換算])を当てる数カ月前、私は宝くじに当選するという鮮明な夢を見ました。あまりにリアルだったので、現実でも絶対に当たると確信しました。

それは1999年のことで、私はガソリンスタンドの店員として働くかたわら、アイオワ州にあるリベラル・アーツ大学で勉強していました。最低賃金を稼ぎながら、両親の家の地下室で暮らしていたのです。

週に1回か2回、1枚のくじを買っていました。当選することを常にイメージし、そのことを人にも話しました。みんなは、「もし誰かが当たるとしたら、それはきっと君だろう」などと言っていました。

そして、実際に当たったのです。

1999年2月11日、誰かがパワーボールを当てたと叫びながらドアをたたく父の声に、私は起こされました。父は、私がチケットを買ったかどうか、尋ねました。私はすぐに、前の晩に当たりくじをもっていることを何人かの知人に話したのを思い出しました。

私は必死になって紙の山をかき分け、くしゃくしゃに丸められたチケットを見つけました。それを広げ、大急ぎで階段を上って、キッチンで新聞に載っている数字と見比べたのです。

数字が一致しているのを見て、私は夢をみているのかと思いました。父が私を抱きしめ、私たち二人はまるで子供のように飛び跳ねながら喜びを分かち合いました。

母に電話をすると、彼女ははじめのうち、私が冗談を言っているのだと思ったようです。ファイナンシャルアドバイザーと弁護士にも電話をしました。彼らはチケットをどこか安全な場所に保管して、宝くじの引き換えを行なう日時を決めるようアドバイスしました。私は天にも昇る心地で、雲の上を歩いているような気分でした。

記者会見で、私が2800万ドルを獲得したことが発表されました。その後、私たちの電話にはメッセージが殺到しました。知人は私を祝福してくれたのですが、見知らぬ人からのメールもたくさん届きましたし、お金を要求してくる人もいました。

記者会見では、私は路上に飛び出して車のヘッドライトに照らされたシカのような気分になりました。ワクワクすると同時に、怖くもありました。何百万人もの人から注目されたことなんて、それまで一度もありませんでしたから。でも、その状況を楽しんでいる自分もいました。その経験があったから、私はニュースやポッドキャストの放送に興味が湧いたのだと思います。

借金を返済する、大学を卒業するなど、くじに当選したら何をするか、私は以前から常に考えていました。でも、人生が一変するとは想像もしていませんでした。