B29、日本本土初空襲から80年 標的は北九州、当時と現在を比較

AI要約

米軍の戦略爆撃機B29が日本本土を初めて空襲してから80年が経った。攻撃目標は八幡製鉄所だったが、精度の悪さから北九州市全体に被害が及んだ。

米軍は1944年にも同製鉄所を爆撃し、米国立公文書館にその写真が残されている。当時の写真からは、製鉄所周辺に黒煙や白煙が立ち上っている様子が確認できる。

現在の八幡製鉄所付近の写真を撮影し、比較したところ、洞海湾はほぼ同じ姿を保っているが、響灘や周辺の山は戦後の埋め立てや都市化によって大きく変化している。

B29、日本本土初空襲から80年 標的は北九州、当時と現在を比較

 米軍の戦略爆撃機B29が日本本土を初めて空襲してから16日で80年になる。第1目標は旧福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)の八幡製鉄所だったが、精度が悪く北九州市の旧5市(小倉、門司、戸畑、八幡、若松)のすべてに被害が出た。

 米軍は1944年8月にも同製鉄所を目標に爆撃しており、この時の上空からの写真が、米国立公文書館に残っている。写真では同製鉄所付近から黒煙や白煙が上がっている様子が確認できる。

 この写真と同じ角度で、現在の様子を撮影した。写真中央の洞海湾はあまり形を変えていないが、手前の響灘は終戦後、埋め立てが大きく進んだ。森だった山にも住宅地が広がっていた。(嶋田達也)