「難民ようこそ政策」で治安が急激に悪化…警官殺害のアフガン移民を毅然と批判できないドイツ政府の大迷走

AI要約

6月2日、ドイツで初めて警官がイスラムテロによって殺害される事件が起きた。

バーデン=ヴュルテンベルク州で行われた「パックス・ヨーロッパ」の集会をアフガニスタン出身の25歳の移民が襲撃した結果、警官が犠牲になった。

犯人は難民申請が却下され、その後ドイツ国籍を取得したが、イスラム批判活動家に反発し、テロを実行した。

■「ヨーロッパのイスラム化」に反対する集会を襲撃

 6月2日、ドイツで初めて警官が一人、イスラムテロによって命を落とした。いったい何が起こったのか?

 5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイム市では、市民運動「パックス・ヨーロッパ」の集会が行われる予定だった。テーマは、「政治化したイスラムについての啓発」。会場は町の中心の市場広場で、昼前にはインフォ・スタンドが設置され、その日のスピーカーであるミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー(Michael Stürzenberger)氏らが準備に勤(いそ)しみ、すでに警備の警官も待機していた。

 パックス・ヨーロッパというのは、「ドイツとヨーロッパにおけるキリスト教、ユダヤ教文化の保護、および自由で民主的な基本秩序の保持」を自分たちに課された義務であるとするグループで、「静かに浸透しているヨーロッパのイスラム化」を防ぐべく、長らく警鐘を鳴らしてきた。ドイツでの回教寺院の新設にも強く反対している。

 シュトゥルツェンベルガー氏は1964年生まれで、90年代はバイエルン州の複数の放送局で記者やレポーターとして働き、また、2003~04年にはCSU(キリスト教社会同盟=キリスト教民主同盟のバイエルン版)の報道官も務めた。

■犯人はアフガニスタン出身の25歳の移民

 ところが、2013年からはバイエルン州の憲法擁護庁から「反イスラム主義者」の疑いをかけられ、マークされるようになった。以後、何度か民衆扇動罪で訴えられたが、有罪の判決が出るには至っていない。現在は独立系のジャーナリストで、イスラムに批判的な活動家、ブロガーとして知られている。

 31日の昼前、その広場に現れたのが、25歳のアフガニスタン人のスレマン・A。Aは2013年、14歳の時に、兄と共に保護者なしでドイツに入国。ヘッセン州で難民申請をしたが、14年の7月には却下されている。

 ただ、ドイツは、未成年を国外に送還することはないため、そのまま義務教育を受け、19年にはドイツ国籍を持った女性と結婚。子供が2人できた後は、ドイツ国籍を持つ子供の保護者として正式にドイツの滞在許可(期限付き)を得た。