道路脇で見かける「坊主頭で走る男の子」! こう見えて御年50歳の「飛び出し坊や」誕生の秘密

AI要約

「飛び出し坊や」という看板の歴史と意味について紹介。

1973年に初めて登場し、ドライバーに子どもの飛び出しに注意を喚起する目的で製作された。

独創的なデザインで運転中でも瞬時に理解できることから全国に広まった。

道路脇で見かける「坊主頭で走る男の子」! こう見えて御年50歳の「飛び出し坊や」誕生の秘密

 みなさんは、「飛び出し坊や」という名前を聞いたことがあるでしょうか?

「飛び出し坊や」を読んだそのままに姿を思い浮かべると、郊外の住宅街の脇道からボールを追いかけて飛び出してくるヤンチャな子どもかなと思いますが、その「飛び出し坊や」という名前は、そういうキケンな飛び出しをしてくる子どもたちの総称ではなく、そんな飛び出しの可能性をドライバーに伝えて注意喚起するための看板のことを指すそうです。しかも、どうやらこれも総称ではなく、とあるスタイルの看板の固有名詞なんだそうです。

 ここではその「飛び出し坊や」がどんなものなのか? その歴史についても触れながら紐解いていきましょう。

 看板といっても店や商品のアピールをする一般的に見かける四角いものではなく、どちらかというとバイパスなどでよく見かけるパトカーの形に切り抜かれたボード状のアレに近いものです。

 少し郊外寄りの住宅地をとおったときに、路地の角やガードレールの切れ目に子どもの形に切り抜かれ、「キケン!」「飛び出し注意」などと書かれたボード状の立て看板を見かけたことがあると思います。

「飛び出し坊や」はあの立て看板の一種、というよりあのテの看板のルーツといっていい存在のようです。

 坊主頭のまん丸顔に丸い黒目と低い鼻と一文字の口という顔、赤いシャツに黄色いズボンというビビッドで目立つ服装で走っている姿の立て看板は、それを意識しながら走っていると、けっこういろんなところで見かけるほど普及しています。

「飛び出し坊や」が初めて道端に現れたのはいまから50年ほど前の1973年のことでした。

 1960年代から日本国内は高度成長の波に乗って経済が活性化しました。その影響で流通が盛んになり、一般家庭ではマイカーをもつのが当たり前になって全体が豊かになっていきました。しかし、まだまだクルマというものに社会が慣れていない状況だったため、全国で交通事故が増加し、そのなかでも子どもがクルマに轢かれる事故が増え、各自治体はその対応に追われることとなりました。

 その自治体のひとつ、滋賀県八日市市(現・東近江市)の社会福祉協議会が子どもの飛び出し喚起の対策として、地元の看板製作所(久田工芸)に、道路脇に設置する立て看板を依頼したそうです。そのときに作られたのが、いまの「飛び出し坊や」に続く原型の看板でした。

 そのときは「ひみつのア○コちゃん」に似た女の子と、「バ○ボン」のパパに似た4歳くらいの丸刈りの少年が走っている姿を切り抜いた板に描いたものでした。考案者は赤塚不二夫さんのファンなのかもしれません。

 当時はまだ縦長の四角いブリキ板に注意喚起の文字を書いただけのものが主流でしたが、走っている子どもの姿を切り抜いた看板はまだ無く、運転しているドライバーの直感に訴えるこの方式は斬新だとして徐々に全国に広がっていったようです。

 この看板を考え出した「久田工芸」代表の久田さんは、依頼を受けてすぐにクルマで市内を走ってまわってみたそうで、そのときに見た既成の看板では、文章を読んで理解するという段階を踏まないとならないため、運転しながら瞬間で理解するのは難しいと感じたそうです。それならば子どもの姿を見せればいいじゃないかと考えた久田さんは、もともと絵が好きだったこともあって、すぐに試作品を作って提出したところ、採用が決まったそうです。