パリダカが普通に見える超大規模イベント! いまじゃ絶対開催不可能な1万6000キロを27日間で走破する狂気のラリーがあった

AI要約

パリ-ダカール・ラリーを凌駕するスケールの大きなクロスカントリーラリーとして、1992年に開催された「パリ-モスクワ-北京ラリー」がある。

このラリーは、フランスのパリからスタートし、ロシアのモスクワを経て、中国の北京でゴールする過酷なルートを通るユーラシア大陸横断のイベントであり、パリ-ダカに匹敵する1万6000kmの距離と11カ国を跨ぐルートを持っていた。

同ラリーの原型は1907年の「北京-パリ モーターチャレンジ」であり、1万6000kmの距離と2カ月に及ぶ日数をかけて開催されたサバイバルラリーが85年を経て復活した。

パリダカが普通に見える超大規模イベント! いまじゃ絶対開催不可能な1万6000キロを27日間で走破する狂気のラリーがあった

 クロスカントリーラリーあるいはラリーレイドといえば、多くの読者が「パリ-ダカール・ラリー」、通称“パリ・ダカ”を思い浮かべることだろう。

 たしかに1979年にスタートした“パリ・ダカ”は、1981年にFIAの公認イベントに昇格。それ以降、三菱を筆頭にポルシェ、プジョー、シトロエン、日産など数多くの自動車メーカーが参入するようになり、クロスカントリーの代名詞となるイベントとして定着した。

 1979年の初開催ではフランス・パリをスタートし、ヨーロッパを南下してアフリカ大陸へ上陸。セネガルの首都・ダカールでゴールを迎える過酷なルートで、その後はスタート地/ゴール地を変えながらも、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を中心に開催。社会情勢の関係により、2009年からはアルゼンチンやチリ、パラグアイ、ペルーを中心とする南米大陸、経済状況の悪化で2020年からは中東のサウジアラビアを舞台に“ダカール・ラリー”として開催されるなど、エリアを変えながらも世界でもっとも過酷なラリーとして定着しているが、その“パリ・ダカ”を凌ぐほど、スケールの大きなクロスカントリーラリーが行われていたことをご存じだろうか?

 そのラリーが1992年に開催された伝説のラリー「パリ-モスクワ-北京ラリー」だ。文字どおり、フランスのパリをスタートし、ロシアのモスクワを経て、中国の北京でゴールするラリーで、ユーラシア大陸を横断するルートで開催。パリ-ダカにおける最長ルートが1986年1月1~21日の21日間に渡って開催された第8回大会の1万5000km、通過国にして「パリ→アルジェリア→ニジェール→マリ→ブルキナファソ→セネガル」の6カ国だったが、1992年9月1~27日の27日間にかけて開催されたパリ-モスクワ-北京ラリーでは1万6000km、通過国にして「フランス→ベルギー→ドイツ→ポーランド→ベラルーシ→ロシア→カザフスタン→トルクメニスタン→ウズベキスタン→キルギスタン→中国」と11カ国を跨いで開催された。

 まさに想像を絶するスケールのラリーだが、同ラリーの原型となったのは、1907年に開催された「北京-パリ モーターチャレンジ」だった。文字どおり、北京をスタートしてパリでゴールする過酷なラリーで、距離にして1万6000km、日数にして2カ月間に渡って開催。参加台数は5台で完走したのは3台というサバイバルラリーだったが、このアドベンチャーラリーが85年のときを経て復活したのである。