岩尾俊兵が語る「人を幸せにするための“経営”を実践していこう」─「人をつなぐこと」こそが経営の本質だ

AI要約

経営に対する一般的なイメージとは異なり、経営は人と人とをつなぐためにあり、みんなで幸福になるためのものだという経営学者の岩尾俊兵の考えを紹介。

岩尾氏は幼少期から経営者一族として育ち、個人の日常生活のあらゆる場面でも経営を実践し、人とのつながりを大切にすることを学んできた。

成功と失敗を繰り返しながら、お互いにリスペクトし合い、豊かになるための仲間としての経営学者としてのルーツを築いてきた。

岩尾俊兵が語る「人を幸せにするための“経営”を実践していこう」─「人をつなぐこと」こそが経営の本質だ

私たちの大部分は、日本語の「経営」という単語を聞くと、企業において効率化やコストカットをどのようにおこなって利益を最大化するかを考えることだとイメージする。

しかし、今回の特集「『奪い合う世界』の向こう側」の責任編集を務める経営学者の岩尾俊兵は、「経営」とは本来、人と人とをつないでその対立を乗り越え、みんなで幸福になるためのものだと語る。

著書『世界は経営でできている』で岩尾は、個人の日常生活のなかのあらゆる場面でも「経営」を使うことができると述べた。それによって、人生を豊かにすることができるのだという。

誤解されている「経営」の内実と、誤解の原因は何か。社会的な大きな対立も経営で乗り越えることができるなら、それはどう実践すれば良いのだろうか。

──経営学者である岩尾さんが、経営というものに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか。経営のどの側面に魅力を感じてこの世界に入ったのでしょうか。

まずは、自分の家が経営者一族だったということが大きいと思います。父もおじも祖父も、みんな経営者でした。経営者がとても身近な存在だったのです。

そういうわけで、物心ついたときから、経営が人を幸せにもするし不幸にもする様子を近くで見てきました。つい1年前まで信頼し合っていた人たちが、会社が傾くといがみ合うようになり、現在に至るまで悪口を言い続けていたりする。そんな様子を見て、悲しいなとも感じました。

──岩尾さんのなかでは最初から、経営とは人と人とをつなぐものだという考えがあったということですね。

そうです。それを、子供の頃から実践しようともしてきました。

父の事業がうまくいかずに家が落ちぶれ、地元で後ろ指を指されるようになってしまったのですが、そういうときの子供たちってやっぱり残酷なんですよね。大人の態度の変化を見て、僕もいじめられたんです。でもそれが、経営について自分なりに考えて実践するきっかけにもなりました。

中学1年生のときに、そのいじめっ子たちとバスケットボール部で一緒になってしまったんです。それで、どうやったら仲良くなれるかを考えたとき、たまたま大量の訳あり品のお皿を家族のつてで安く買えたことがあって、地元の陶器市でそれを売る店を一緒に出そうと、そのいじめっ子たちを誘いました。

彼らからすると少し驚きだったかもしれません。けれども、利益を出せば自分たちのお小遣い稼ぎにもなるということで参加してくれて、店は結果的にうまくいき、その子たちと仲良くなれたんです。中学生なりに「経営」をすることによって実際にお金を儲ける体験ができたと同時に、経営は人と仲良くなって組織を作る技術でもあるのだなと実感しました。

中学を卒業して自衛隊に入ったときも、そういった意味での経営を意識し、実践していました。先輩からものすごいしごきを受けたんですが、なかにはちょっと理不尽だと思うものもあり……それから逃れるためにどうすればいいかと、知恵を絞りました。

自発的に飲み物を差し入れる、しごかれたら逆に感謝するなど、あえて先輩の懐に入って、しごきづらくする作戦を考えました。日本人って良くも悪くも周囲に流されるので、「あいつ、割といい奴だよ」と仲間が言っている人のことは、いじめにくくなるんですよ。あとは、隊のなかの係や部活など、自分が所属する小集団ごとに自分の味方を必ず3人作っておくことも心がけました。確実な味方が3人いれば、その集団から爪弾きにされることはないんです。

失敗もありました。一緒にお店をやった中学のバスケ部の子たちとは、その後に僕の失言でまた仲違いし、結局和解できないまま中学を卒業してしまいました。

そうやって成功と失敗を繰り返して、反省を次に活かしながら、みんなで豊かになるための仲間、お互いにリスペクトする仲間をどうやって作れるかを考えて実践してきた、それが経営学者としてのルーツだと思います。(続く)

後編では、昨今の間違った「経営」概念の普及の原因や、本当の経営を通してさまざまな問題をどのように解決していけるかを聞く。