“伝説のミューズ”小林麻美が語る!「人生の名場面はいつもイヴ・サンローランとともに」

AI要約

小林麻美が18歳から愛用するイヴ・サンローランについて語る。

サンローランの魅力や彼女の思い出、アーカイブについて紹介。

サンローランの服に対する思いや、未だ大切にしているトレンチコートについて語る。

“伝説のミューズ”小林麻美が語る!「人生の名場面はいつもイヴ・サンローランとともに」

伝説のミューズ、小林麻美が“ジェントルマン”について考える新連載がスタート。 Vol.3は、彼女が長年、愛用するイヴ・サンローランについてたっぷりと語る。

小林麻美がサンローランに初めて袖を通したのは18歳のとき。まさに自分のために仕立ててくれたような心地よさと、モードの帝王といわれたイヴ・サンローランのクリエーションが彼女の“おしゃれ心”をくすぐり、虜にした。

以来、彼女が纏ったサンローランは200着あまり。そのすべてが私服ということになる。そのヴィンテージともいえる服は現在、日本服飾文化財団に寄贈し、貴重なアーカイブとなっている。イヴ・サンローラン、彼女のかけがえのない思い出や人生の名場面はいつも彼の服と共にあった。

「初めて買ったサンローランはサファリジャケット。当時、お付き合いしていた人に青山のお店に連れて行ってもらいました。18歳の時でした。といっても、買ってもらったわけじゃなくて、当然自分のお小遣いで買いました。当時は実家暮らしだったからギャラはすべて自由に使えるお小遣いでしたから。かなり背伸びして買ったのでしょうね。なにしろませていた18歳でしたから。

子供の頃からずっと洋服は好きだったから、サンローランのことは多分知ってはいたはずです。

でも、自分で買うほど身近な服ではなかったかな。当時から私は背が高くて、手足も長かったので、日本の服が合わなかったですよ。ほとんどの服がツンツルテン。足りないわけですから、直しようもないわけです。それがサンローランだとまさにピッタリ。まるで私のためにオーダーしたみたいな服でした。着心地も魔法のようで、以来、サンローラン一筋、セールになると覗きに行って、毎シーズン買っていました。

雑誌の撮影なんかはほぼほぼサンローランを着ていたんじゃないかしら。アイドル時代はデパートの屋上とか遊園地のステージとかで歌ったりしていたんです(笑)。恥ずかしい。そんな時もサンローランのワンピースだったり。『嘘でしょう!』って、感じですよね。当時のアイドルはほとんどが私服だったのです。自前で洋服を持っていって、アイロンかけたり、メイクしたりと自分でやっていた気がします。そのお洋服が全部サンローランっていうのも、生意気な女の子ですよね(笑)。当時、サンローランを着ていた方といえば、石田あゆみさんとか越路吹雪さんとか、大スターばかりでしたから。

サンローランの魅力はなんといっても“上品さ”と“下品すれすれのきわどさ”。胸元が大胆に開いていようともいやらしく見えないですし、シースルーにしても下品にならない。これがサンローランの魔法だと思います。洋服って上品なだけでも堅苦しいもの。サンローランはその瀬戸際のところで勝負している感じが好きでした。

ですから、私は下着が見えそうでも、スリットが深くても恥ずかしがったり、気にしたりせず、いつも堂々と着るようにしていました。着るからには堂々と。そうしないときれいじゃないかなと思って。

イヴ・サンローランが亡くなってからは、私の“サンローラン愛”も落ち着きましたが、それでもアルベール・エルバスやエディ・スリマン時代のものも何着かはあります。ただ、私のクローゼットのほとんどはイヴ・サンローラン時代のものでした。一着も手放したことはなかったですね。一着一着に思い出やエピソードが詰まっていましたから。でもある時、もう着ることもないだろうと、日本服飾文化振興財団に寄贈しました。結果、寄贈してよかったです。大切に管理していだけますし、なにかあったらまたお借りして着ることだってできます。せっかくですから、これからも機会があれば、もっともっと今の私らしく着てみたいと思っています。

実は一着だけ寄贈せず、手元に残したものがあります。二十歳だった私が、初めて夫に会った時に着ていたサンローランのピンクのトレンチコートです。また仕事をすることになり、田辺エージェンシーに面接に行った時に、頑張ってそのコートを来て行きました。今考えると、びっくりするようなコーディネートで、髪にはリボンをつけて……。田辺エージェンシーの社長だった夫に、『その髪はやめたほうがいいね』と、言われたことを今でも覚えています。そんな想い出のトレンチコートだけは、今も大切にしています」