【売上解説】今でも『ドラえもん』に稼ぐ力がある理由、伸び続ける“ある国の市場”

AI要約

『ドラえもん』は国民的キャラクターであり、そのキャラクター認知度と好感度は他の有名キャラクターを上回っている。

藤子不二雄氏が共同ペンネームである藤本弘氏と安孫子素雄氏と共に創作し、『オバケのQ太郎』でキャラクター市場にデビューした。

アニメ化が初期には成功せず、挫折も経験したが、その後に『ドラえもん』誕生へとつながる新たなキャラクター『パーマン』を創作した。

【売上解説】今でも『ドラえもん』に稼ぐ力がある理由、伸び続ける“ある国の市場”

 『ドラえもん』と言えば国民的キャラクターの代表例だろう。キャラクター認知度95%、好感度61%という数字は2023年時点であらゆるキャラクターの中でNo.1である。これは、クレヨンしんちゃん、ハローキティ、となりのトトロ、アンパンマンよりも高い数値となっている(出典:CharaBiz Casting book2024)。歴史も長いドラえもんだが、まだまだ売上を伸ばす可能性を秘めているのだ。今回は、ドラえもんが国民的ヒット作になっていった経緯を辿りつつ、現在、何が売上増を支えているのか、関連売上の内訳を見ながら解説していく。

 ドラえもんの作者・藤子不二雄氏の名前は、藤本弘(ふじもと・ひろし)氏と、安孫子素雄(あびこ・もとお)氏の2人のマンガ家による共同ペンネームである。1933年12月生まれの藤本(F)と、1934年3月生まれの安孫子(A)は、富山県高岡での小学校以来の同級生だ。

 藤子不二雄氏にとって、キャラクター市場を切り拓くことになった最初の作品は、1964~1976年連載の『オバケのQ太郎』であった。当時は国内だけでは採算がとれないため、無理やり“無国籍化”させて海外に売るアニメ作品が多く、『鉄腕アトム』(1963年)に倣ってヒーローものばかりが制作・輸出されていた。

 オバケのQ太郎も無国籍化が要求される中で、「分厚い唇が黒人を連想させるから海外ウケがいいのではないか」という今では考えられないような意見も出たという。そうした中で、1965年にアニメ化され、1967年に打ち切りになる(出典:南博.ドラえもん研究 子どもにとってマンガとは何か.ブレーン出版,1981年)。

 とはいえ、視聴率が低かったわけではない。視聴率30%程度を記録する大人気コンテンツであったが、1980年代に至るまでアニメ化は“原作を食いつぶすもの”としか考えられていなかった。「映画化されれば別ですが、テレビになっても本の売れ行きは関係ありません」とされ、スポンサーだった不二家のお菓子が売れなくなったというだけであっさり中止となった。

 これは藤子不二雄氏にとっては挫折体験であり「僕たちはまだまだオバQに愛着があったが、テレビ局、スポンサー、出版社という三大勢力のドッキング作戦にはさからえず、パーマンという新キャラクターをつくった」と振り返っている(出典:藤子不二雄A,藤子・F・不二雄.藤子不二雄A 藤子・F・不二雄 二人で少年漫画ばかり描いてきた.日本図書センター,2010年)。