王都、帝国、魔王城… 貴族が治める『葬送のフリーレン』の世界を歴史学者が読み解く

AI要約

本記事は、人気漫画作品『葬送のフリーレン』を中世ヨーロッパ風の剣と魔法のRPG世界を舞台に、歴史の視点で解説している。

王侯貴族の存在や、千年以上の歴史を持つ帝国、城のイメージ、魔王城の構造などがファンタジー世界と中世ヨーロッパの歴史的な側面を結びつけて描かれている。

記事によると、実際の中世ヨーロッパの王侯貴族や城の構造との類似性が見られる一方、作中のフリーレンの世界は独自の設定や多様な影響を受けている。

 中世ヨーロッパ風の剣と魔法のRPG世界を舞台に、魔王討伐の旅のあとを描いた人気漫画作品『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人、作画:アベツカサ)。その豊かな世界観を、西洋史を専門とする研究者が歴史の視点でひも解く! 

 WEBメディア「シンクロナス」の人気連載「〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら」は、ゲーム・漫画・アニメ等のフィクション作品を取り上げて、歴史の専門家の目線から見どころを解説するシリーズ。話題の『葬送のフリーレン』編から一部をお届けする。

(文・仲田公輔)

 著者プロフィール

仲田 公輔

岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。 >>著者詳細

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■ 剣と魔法のファンタジーにおける「王侯貴族」

 さて、本邦における剣と魔法のファンタジー世界が「昔のヨーロッパ風」という緩やかな共通項を持ちつつも多種多様な世界観を持っているとはいえ、いくつか共通している要素もある。

 その代表的なものの一つが君主の存在である。

 多分に漏れず、『フリーレン』の世界も王侯貴族たちが治めている。物語の最初に登場する「王都」を治める王の領地を始めとする中央諸国と、「伯爵」の称号を持つ領主や、「帝国」などが存在している北側諸国、そしてフリーレンの弟子フェルンの出自がある南側諸国の存在が明示されている。帝国の君主(皇帝ということになろうか)、王、その他の領主の関係は明示的に描かれてはいない。

 実際のヨーロッパ中世では、たとえば王権が弱体だった11世紀までのフランスなどでは、王よりも有力で広い領土を支配する公や伯がいた。

■ 『フリーレン』世界で千年の歴史を持つ「帝国」

 気になったのが「帝国」である。『フリーレン』世界の「帝国」は千年以上の歴史を持ち、かつて大陸の広域に勢力を広げていたが、現在は領土的には限定されつつもなお強盛という設定である。魔王が強力だった時代には他の人類勢力から孤立したものの、魔族と対等に渡り合っていたとのことだ(第121話)。

 実際の西洋中世においては、地中海世界を一円的に支配していたローマ帝国の領土が限定され、東地中海世界を領土の核とする東ローマ(ビザンツ)帝国がイスラーム勢力と争いながらも千年にわたって存続した一方で、西方ではその要素を受け継いだゲルマン人たちの諸国家が新たな秩序を築いていった。

 実際の歴史的経緯をどこまで意識しているのかはわからないが、どことなく重なりを感じる部分ではある。目下(13巻)、『フリーレン』の舞台は帝国領において展開しているので、今後詳細が描かれることに期待したい。

■ ファンタジー世界でおなじみの「城」のイメージ

 これもまたRPGではおなじみの光景だが、王侯貴族は城や宮殿に住んでいる。最初に出てくるのは王都の城である。(第1巻、p. 30)

 尖塔が聳える優美な作りをしている。防御性能よりも居住性が優先されるようになった中世後期以降の城に近く見えるが、本邦の読者にとってヨーロッパ風世界の「城」といえばこのようなイメージであろう。

 実際の西洋中世においてはどうだろうか。西洋中世は長い時代であるため(定義にもよるが、5世紀頃~16世紀頃としておこう)、その中でも様々な変化があった。しかし、代表的な様相を上げるとするならば、西洋中世盛期(11~13世紀頃)の城は、主要な攻城兵器である投石機に対する防御力を高めるために高い城壁を巡らせた、無骨な石造りの城が多かった。優雅な居館としての城は、火砲が登場して城の役割が変化して以降のものである。

 作中に登場する城は人口に膾炙したイメージを優先したものが多いのだと思っていたのだが、これを執筆している時点で最新の13巻には、飾り気のない実用的な城塞に住んでいたという無骨な貴族が登場し、驚かされた。これについてはまた後に触れたいと思う。

■ 様々な様式が入り混じった「魔王城」

 コミックス1巻の終わりには、旅の目的地である「エンデ」に聳える魔王城の姿が見開きページでおどろおどろしく描かれている。統一感がなく、様々な様式が入り混じった巨大な構造物に見えるが、はっきりとわかるのが外側側面からフライング・バットレス(飛梁)で支えられていることである。

 これは高層化した12世紀以降のゴシック建築の教会などによく見られた構造物であり、読むものに魔王城が中世ヨーロッパ風の重厚な建築物であることを印象付ける効果があるようにも思える。少しメタな話をすると、作画の資料として中世の建造物が使われている可能性がうかがえる。

 (文・仲田公輔)

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