【推し活・オシノミクスを考える】かつての「ヲタ」が「推し」になって変わった空気感 「それで人生楽しいの?」に辟易とする

AI要約

「推し活」という言葉が市民権を得ている中、推しの存在がいない人が肩身の狭い思いをすることもある。

「推し活」の本質について考察し、ウォーターシッツにおける熱狂的な支持者たちの活動内容と、かつての「ヲタ」の活動との違いについて分析する。

「推し」が主体のエンタメコンテンツ消費が定着している中で、活発な支持者コミュニティが形成されている。

【推し活・オシノミクスを考える】かつての「ヲタ」が「推し」になって変わった空気感 「それで人生楽しいの?」に辟易とする

「推し」「推し活」という言葉が、すっかり市民権を得るようになった。「自分の好きなエンタメ関連の『追っかけ』をしたり、グッズを熱心に買う」という人も少なくないのではないか。とはいえ「推し活」が定着したことで、逆に「推し」がいない人が肩身の狭い思いをすることもあるようだ。「趣味はあるが、推し活はしていない」というネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、推し活の本質について考察した。

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 最近は「オシノミクス」なる言葉も生まれているようです。単なるコンテンツ消費に留まらない「推し活」にまつわる経済効果も期待されているわけで、雑誌『DIME』9・10月号でも『「オシノミクス」を徹底解剖! ヒット商品は「推し」が9割!』と特集して、「BTS」「Aぇ!Group」「大谷翔平」「石川祐希」「JO1」「鬼滅の刃」「名探偵コナン」「エヴァンゲリオン」「ウマ娘」「Juice=Juice」……などの名前が挙げられています。

 エンタメコンテンツと特定個人やグループに対して思い入れのある人々が多額のカネを使っている、ということのようですが、一方で「推し」がいないことで、肩身が狭い思いをする人もいるようです。30代女性・Aさんはこう語ります。

「最近よく『推しはいるの?』と聞かれます。私は小説が好きで、Kindleで海外モノの古典ともいえるミステリ作品をダウンロードしています。だから『アガサ・クリスティとかかな』と答えると『それは推しじゃないよ。あなたは推しがいないよ』と言われます。どこか侮蔑されたようなニュアンスを感じますが、『推し』がいないと今はバカにされるのでしょうか?」

 いまや「推しがいなくては人生を楽しめない!」とツッコミを入れる人もいるのが現実なのです。いや、推しがいなくても十分、人生を楽しめるでしょう。

 さて、私は「推し活」の活動内容って、「グッズを買う」「イベント現場に行く」「その人のSNSをフォローし、時々コメントもする」「同好の士とオフ会をしたり交流をする」というものだと認識しています。でもこれってかつての「ヲタ」の活動と何が違うんですかね?

「ヲタ」は「オタク」の変化形で、「いい年してアイドルに血眼をあげてカネ使ってさ、さっさと結婚して卒業しろよw」みたいにバカにされていたものですが、「推し」という言葉になることによって、なんだか崇高な存在、リア充に昇華したような気がします。「ヲタ」が「キモい」「いい年して何やってるんだ」「現実を見ろ」的に批判されていたものの、「推し」だとこう変化した。

〈文化的活動に貢献する崇高なる存在かつ、文化的素養があって同好の士と交流をする社交的な方々。あなた方のそうした活動が、文化・経済をより発展させるのです〉

 まぁ~とはいえ、実質的に「ヲタ」と何が違うのかが分からない。ただ単に「ヲタ」を崇高風な言葉に変えたのではないのか……。なんとなく、男性が好んでいた女性アイドルやアニメ、グラドルは「ヲタ」で、女性も含まれる趣味の分野は「ヲタ」ではなく「推し」になりがちなのかな。

 以前から、フィギュアスケートや宝塚、ヴィジュアル系バンドのファンである「バンギャ」など、女性が熱心に応援をする娯楽はありました。旧ジャニーズの各グループにも熱心な女性ファンはいた。しかし、それらは2010年代は「推し」という言葉で括られてはいなかった。嵐のファンは「アラシックス」だし、NEWSのファンは「パーナ(さん)」と呼ばれていた。

 かくして、「一つの対象に対して熱心に応援し、お金を使う存在」は昔からいたものの「推し」という名称を与えることで、「ヲタ」から脱却させることとなったのです。別に「ヲタ」でもいいじゃないですか? なんてことはさておき、今の世の中は「推し」一辺倒に。