超貴重なデ・トマソ「ヴァレルンガ」が約2880万円で落札…相場よりもかなり安かった理由はスーチャー付きの魔改造のせい!?

AI要約

2020年以来の新型コロナ禍により、自動車オークション業界ではオンライン形式のオークションが大流行し、その利便性から今でも多くの会社が続けている。

デ・トマソの創始者であるアレハンドロ・デ・トマソの生い立ちや経歴、ミステリアスな側面について紹介。

デ・トマソが1965年に発表した初の市販レーシングGT兼ロードユーズ用スポーツカー「ヴァレルンガ」の概要について述べられている。

超貴重なデ・トマソ「ヴァレルンガ」が約2880万円で落札…相場よりもかなり安かった理由はスーチャー付きの魔改造のせい!?

2020年以来の新型コロナ禍により、自動車オークション業界ではネット上のみで出品・入札するオンライン形式のオークションが大流行。パンデミックにいちおうの収束が見られる現在でも、その利便性から数多くのオークション会社が対面型オークションと並行して継続しているようです。2024年6月14~18日、名門「ボナムズ・オークション」社がベルギーを拠点に開催した、その名も「ONLINE」オークションでは、近年にわかに市場評価を高めたモデルのひとつであるデ・トマソ「ヴァレルンガ」が登場。今回はそのモデル概要と、注目のオークション結果についてお伝えします。

デ・トマソの開祖、アレハンドロ(イタリアではアレッサンドロ)・デ・トマソは、1928年に生まれたイタリア系のアルゼンチン人で、革新系の政治家だった父親が政敵である独裁者、ペロン首相に敗れて失脚・死亡したことに伴い、若くして、半ば政治亡命に近いかたちで父祖の地イタリアに渡ったとされている。また、アルゼンチン時代には、レーシングドライバーとして活動する傍ら、反政府運動にも参加していたといわれている。

さらには、あのチェ・ゲバラとも交流があったとも言われるほか、さらには列車強盗やハイジャックにも加担していたという、虚実入り乱れた武勇伝的エピソードさえ独り歩き(本人はジョークで混ぜ返しただけで、否定も肯定もしていない)するなど、じつにミステリアスな側面をもつ人物でもある。

イタリアに渡ったのちに、北米の自動車業界に影響力をもつ富豪の令嬢イザベル・ハスケルと結婚。妻の資金援助もあって、「O.S.C.A.」社のワークスドライバーとして自動車業界に足場を築いたアレハンドロは、1959年に「デ・トマソ・アウトモービリ」社を創立。フォーミュラ・ジュニア用を皮切りにF3、F2など各種のモノポストマシンの製作・販売に乗り出す。また1961年には、1500cc時代のF1GPに向けてアルファロメオ4気筒DOHCユニットを搭載したマシンを開発、こちらも市販を目論んでいたが、戦闘力不足で成功には至ることはなかった。

そんなデ・トマソが、初の市販レーシングGT兼ロードユーズ用スポーツカーとして1964年にデビューさせ、翌1965年から実際に市販したのが、「ヴァレルンガ」であった。