「九州初の電車でした」半世紀前に消えた私鉄の“唯一の生き残り”ついに公開へ 廃止は「県の要請」だった

AI要約

2024年7月7日にオープン予定の大分市神崎に位置する道の駅「たのうらら」について紹介。

かつて大分市と別府市を結んでいた路面電車「大分交通別大線」の歴史について。

展示されている「506号車」についての詳細と保存経緯について。

「九州初の電車でした」半世紀前に消えた私鉄の“唯一の生き残り”ついに公開へ 廃止は「県の要請」だった

 大分市神崎の国道10号沿いに2024年7月7日正午、道の駅「たのうらら」がオープンします。雄大な別府湾を一望できる場所に270台分の駐車場を備えた休憩スポットとして新設された施設で、大分市内では3か所め、大分県内では26か所めの道の駅になります。

「たのうらら」の中心に建つのが鉄骨2階立ての白亜の建物。ここは1階が物販エリアと休憩コーナー、2階が飲食エリアとキッズコーナー、多目的エリアなどになっていますが、1階の休憩コーナーの脇に1両の路面電車が展示されています。

 

 この車両、いまから50年以上前に大分市と別府市のあいだを走っていたもので、このたび特別に許可を得てオープン前に取材させてもらいました。

 大分市と別府市を結んでいた路面電車は、正式には「大分交通別大線」といい、1900(明治33)年5月10日に開業(当初は豊州電気鉄道)、1972(昭和47)年4月5日に廃止されるまで72年もの長きにわたって両市市民の足として走り続けました。

 

「別大電車」などの愛称で地元住民から親しまれたこの路面電車(軌道)、実は九州初の“電車”になります。全国でも5番目という比較的早い段階での電化路線で、度重なる延伸で最終的には大分駅前~亀川駅前間18.4kmの区間を結んでいました。

 県内最大の都市と2番めの都市を結んでいたため、利用者は多かったようで、末期まで黒字経営だったとか。しかし、モータリゼーションの進展に伴い、国道10号の渋滞対策を抜本的に行う必要が生じた結果、県の要請を受ける形で廃止されています。

 大分交通別大線は、おおむね国道10号に沿って敷設されており、かんたん~東別府駅前間は国鉄日豊本線とも並走していました。別大線は道の駅「たのうらら」のある敷地の近傍を走っており、すぐ近くに白木や田ノ浦といった停留所もあったことから、その点でもこの路面電車は「地元史の語り部」的存在とも言えるでしょう。

 展示されているのは、1959(昭和34)年製の「506号車」です。同車は大分交通が1956(昭和31)年から1959(昭和34)年までに7両調達した500形電車の後期生産モデルで、近畿車両で造られています。

 車体サイズは全長12.92m、幅2.34m、高さ3.894mで自重は17.2t。乗車定員は90名でうち38名分の座席が用意されていました。

 製造から8年後の1967(昭和52)年には九州車輌でワンマン改造を受けたものの、前述したようにそれから10年も経たないうちに路線そのものが廃止されたため、7両造られたうちの2両は岡山電気軌道へと譲渡され、残る5両のうち、2両が大分市、1両が別府市へそれぞれ寄贈され、両市の公園で保存・展示されることになりました。

 ただ、保存された3両のうち2両(大分市と別府市各1両)も1992年と2004年に相次いで解体されたため、残っているのは「506」号車のみとなりました。ちなみに、同車は当初、大分市中央町の若草公園に展示されていたものの、公園改装に伴い1996(平成8)年に同市内の佐野植物公園へ移築されています。

 しかし、2023年には道の駅「たのうらら」の新設計画を受けて田ノ浦ビーチ近傍へと再移設され、建物内で保存・展示される流れとなりました。