小田急よりも古い!? 戦前の「ロマンスカー」現存唯一の車両を見てきた そもそも“ロマンス”の意味はご存じ?

AI要約

小田急電鉄といえば「ロマンスカー」として知られる特急名で、その起源は京阪電気鉄道にさかのぼる。

1927年に最初の「ロマンスカー」として1550型が登場し、進行方向に座席を備えた座席が特徴となった。

1935年に路面電車として登場した神戸市交通局700形は、当時のサービス向上として革新的な車両であった。

小田急よりも古い!? 戦前の「ロマンスカー」現存唯一の車両を見てきた そもそも“ロマンス”の意味はご存じ?

 小田急電鉄といえば「ロマンスカー」で、登録商標にするほどの看板特急名です。商標登録したのは、1991(平成3)年に東武鉄道1720系「デラックスロマンスカー」が引退してからですが、それはつまり、他社にも「ロマンスカー」を名乗る看板鉄道車両は存在していたということです。

 最初に「ロマンスカー」を登場させたのは京阪電気鉄道で、1927(昭和2)年のこと。この年に新造した転換式クロスシート装備の1550型を「ロマンスカー」と命名したのです。

 我が国における、鉄道用転換式クロスシートの起源は1880(明治13)年の「開拓使号客車」とされますが、鉄道省(現・JR)は1919(大正8)年に転換式クロスシートを装備した二等車(現在のグリーン車)21700形を製造。1925(大正14)年には、進行方向に座席が固定された特急専用三等車(現在の普通車)であるスハ28400形を製造しています。

 この辺りから、一般大衆でも乗れる車両に「進行方向に向いた2人用座席」を並べる動きが見られるようになりました。先述した京阪1550型はその先駆けですが、転換式クロスシートを“仲のよい男女が水入らずで過ごせる座席”と捉え、ロマンスを育む座席を装備した電車として「ロマンスカー」と命名したわけです。

 京阪は当時、『ローマンス・カーの栞』の中で「この度は日本ではまだ見られない、座り具合のよい2人相乗り横掛け座席(クロスシート)の全鋼製車(ロマンスカー)を新造」(文章は筆者が現代語に意訳)として、進行方向に2人で座れる座席をアピールしていました。

「ロマンスカー」は評判となり、各地に広がります。1929(昭和4)年には南海鉄道(現在の南海電鉄)が、難波駅ビルの完成予想図に電9形(後のモハ2001形)を起用して「ローマンスカーの勇姿」と題した写真を掲載していますし、翌年には、参宮急行電鉄(後に近畿日本鉄道)が大阪から伊勢神宮への参詣ルートを示した広告で、自社の「ロマンスカー」をアピールしています。

 ちなみに鉄道省大阪鉄道局は、1935(昭和10)年に編纂した『鉄道用語辞典』で「1919年に製造した(転換式クロスシートの)新型2等車をローマンスカーと呼ぶ」としていました。ただし、私鉄の事例は無視されています。

 こうした時代背景の中で1935年に登場したのが、初の“路面電車ロマンスカー”であり、戦前生まれの「ロマンスカー」としては唯一、保存車両が残る神戸市交通局700形です。その登場は、小田急電鉄の初代「ロマンスカー」である1910形(座席はボックスシート)が登場する14年も前のことでした。

 当時の神戸市電は、市内に乗り入れる鉄道省や阪神、阪急の電車に加え、バスとの競争にさらされていました。それでも1934(昭和9)年と1936(昭和11)年にスピードアップを図るなど、サービス向上に務めていたのです。

 そうした中、700形はサービス向上の目玉として登場しました。市電の車両は直線的な形状で、外板も鋲打ちされた無骨な“鉄の箱”でしたが、700形は鋲打ちを廃止した、柔らかな曲線の車体で化粧屋根を備え、それまでの倍となる幅1.1m、高さ1.15mの大きな側窓を備えました。塗装もそれまでのグリーン1色から、グリーンとベージュのツートンとなり、お洒落でした。

 700形は、出入口付近に1人掛けの転換式クロスシートを3脚、中央部に2人掛けの転換式クロスシートを6脚備え、座席は緑色のビロードで覆われていました。照明はすずらん灯を模したガラス製の乳白色グローブ、床はリノリウム張り、側扉は自動ドアと、当時の鉄道省二等車に匹敵、もしくは上回る装備でした。