ソ連と米国のキケンすぎる「チキンレース」に戦慄…「地球は滅亡しかけていた」

AI要約

1962年10月、ソ連がキューバに中距離ミサイルを配備し、米国との緊張が高まる。

キューバへのミサイル配備は米国にとって脅威であり、ケネディ大統領は海上封鎖で対応。

ソ連と米国の対立は一触即発の状況までエスカレートし、全面核戦争の危険が迫る。

ソ連と米国のキケンすぎる「チキンレース」に戦慄…「地球は滅亡しかけていた」

知らぬ間に「米国のミサイル基地」と化していた日本

日本にとっての「最悪のシナリオ」とは?

政府による巧妙な「ウソ」とは一体…?

国際情勢が混迷を極める「いま」、知っておきたい日米安全保障の「衝撃の裏側」が、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』で明らかになる。

※本記事は布施祐仁『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集したものです。

1962年10月に起きた「キューバ危機」。人類が最も全面核戦争に近づいたと言われるこの事件の原因になったのも、地上発射型中距離ミサイルでした。

1962年5月、ソ連は米国と目と鼻の先に位置するカリブ海の島国キューバに中距離ミサイルを配備すると決定します。

配備の最大の目的は、米国によるキューバ侵攻の抑止でした。

1959年の革命で親米政権が倒されたキューバでは、フィデル・カストロ率いる革命政権が社会主義を目指すことを宣言し、ソ連と急接近していました。これを警戒した米国は、カストロ政権を転覆するために亡命キューバ人に大量の武器を供与して侵攻させましたが、失敗に終わりました(1961年4月のピッグス湾事件)。

次は米国が直接キューバに侵攻する可能性があると考えたソ連は、それを抑止するため、キューバに核弾頭を搭載した地上発射型中距離ミサイルを配備することを決定したのです。キューバもそれを受け入れます。

キューバと米国本土は最短距離で150キロしか離れていません。そこに射程4000キロのソ連の核ミサイルが配備されれば、ハワイとアラスカを除く米国の国土のほぼ全域が射程に収まることになります。これは米国にとって絶対に容認できないものでした。

米軍の幹部たちは、建設中の核ミサイル基地を破壊するために直ちに空爆を行うよう強く主張します。しかしケネディ大統領は、まずは海上封鎖で圧力をかけ、ソ連に核ミサイルの撤去を迫るオプションを選択します。

これに対してソ連のフルシチョフ首相は、核ミサイルの撤去を拒否し、「米軍がソ連船を停止させて臨検すれば、海賊行為とみなし、ソ連軍潜水艦に米軍艦船を撃沈するように命ずる」と警告します。

米国とソ連は、互いに一歩も引けないチキンレースの泥沼に入り込んでいました。