岸本斉史と池本幹雄、『NARUTO』の物語を描く二人の登場にフランスのファンが大興奮! 巨匠たちが語る「物語制作の裏側」

AI要約

8月下旬、『NARUTO』の作者である岸本斉史と、そのアシスタントの池本幹雄がパリでファンイベントに参加。感動の瞬間が続いた。

フランスのファンたちは、ナルトとその続編であるBORUTOシリーズに敬意を表し、岸本と池本を熱烈に歓迎。

岸本は成功や人気に左右されず、一喜一憂せずに漫画を描く姿勢を貫いてきた。

岸本斉史と池本幹雄、『NARUTO』の物語を描く二人の登場にフランスのファンが大興奮! 巨匠たちが語る「物語制作の裏側」

8月下旬、『NARUTO』の作者である岸本斉史と、長年にわたり彼のアシスタントを務め、いまはその続編にあたる『BORUTO』シリーズを描いている池本幹雄がパリのファンの前に現れた。仏紙「ル・モンド」がそれに合わせてインタビューをおこない、制作秘話を存分に聞いた。

2024年8月25日、漫画家の岸本斉史は、パリの老舗映画館「グラン・レックス」のメインシアターの舞台上で、込み上げる感情を抑えるのに苦労している様子だった。それは岸本の後を継いで漫画を描いている池本幹雄も同じだった。目の前の2500人の観衆から、盛大な拍手と熱い声援が二人に送られていたのだから無理もない。

観衆は、子供時代に憧れたヒーローとその創作者に敬意を表したくて会場に足を運んだ。そのヒーローとは、ヤンチャな忍者のナルトである。おそらくフィクション史上、最も有名な忍者であり、フランスでも20年以上前から最も人気のある漫画キャラクターの一人であり続けている。

フランスのファンたちとの、一期一会といってもいいこの出会いは、二人の漫画家の短いフランス滞在のクライマックスでもあった。ただ、このイベントの様子を再現する手段はない。岸本と池本の「両先生」を写真や動画で撮ることは禁じられていたからだ。

スター漫画家に相応しい出迎えだった。同行する日本人編集者の一団に両脇を守られながら、二人はパリに2日間滞在した。おりしもフランスでは『BORUTO-ボルト- -TWO BLUE VORTEX-』の刊行が始まったばかりだ。

これは1999年の『NARUTO』の連載開始とともに幕を上げた、壮大な忍者たちの物語の最新章である。ただし、主人公はあのブロンドの有名忍者ではなく、その息子のボルトになっている。

岸本斉史の目に涙が浮かんでいたとしたら、それは喜びの涙だっただろう。岸本は漫画家になって早い段階から、競争の激しいこの業界で生き残るには「一喜一憂しない。気持ちを一定にして、平常心を保つ」ことを意識していたという。

それは8月25日の午前中におこなわれたル・モンド紙によるインタビューで語っていたことだ。インタビューは、パリの百貨店「ボン・マルシェ」の高級感のある応接間でおこなわれ、そこでサイン会も催された。岸本にとって、成功したからといって有頂天になったり、人気が落ちたからといって落ち込んだりするのは、してはならないことだった。岸本は言う。

「最初の頃は、人気がまだ定着してなかったので、プレッシャーで圧し潰されそうになって筆が進まなくなることもありました。(『週刊少年ジャンプ』では)すばらしい先輩たち20人と同じ土俵に立たされていたわけですからね」

漫画とアニメが好きな地方暮らしの若者だった岸本が、「週刊少年ジャンプ」というあの名門雑誌のページに自分の漫画を連載できるようになるまでには、3年以上に及ぶ報われない日々があった。

「週刊少年ジャンプ」といえば、『ドラゴンボール』(若い岸本にとってインスピレーションの大きな源となった)や、『ONE PIECE』(『NARUTO』より2年早く連載が始まったライバル漫画)が生まれた雑誌でもある。

報われなかった時代の経験は、岸本の漫画の主人公の経験と直接に響き合う。ナルトも最初は、忍者に憧れる落ちこぼれに過ぎず、村では仲間外れにされていた。それでも里のトップの名士になるための努力を続け、里の者全員に自分の実力を証明し、自分を認めてもらったのだ。

「『NARUTO』をずっと描いてきて思うのは、お互い和解しあったり、何かを成功させたり、何かを達成したりするためには、やっぱり耐え忍ぶことが必要なんです。そのことは作品を描くことを通してわかってきましたし、それを作品のテーマにもしました」