プリツカー賞受賞の日本人建築家・槙文彦さん(95)死去

AI要約

建築家の槙文彦氏が95歳で亡くなった。彼はプリツカー賞受賞者であり、世界的に有名な建築家だった。

槙文彦氏は東京大学教授としても活躍し、現代モダニズム建築の代表作を残した。彼の作品は水平と垂直の幾何学的要素を生かしたデザインが特徴だった。

槙文彦氏は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門の孫であり、日本や海外で多くの建築プロジェクトに携わり、数々の賞を受賞していた。

 「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞した日本の著名な建築家で元東京大学教授の槙文彦氏が死去した。95歳だった。朝日新聞などが「槙文彦氏が6日、東京都内の自宅で老衰のため死去した。家族・親戚同士で静かに葬儀を行った。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定だ」と12日に報道した。

 槙文彦氏は2001年9月11日の米同時多発テロのニューヨーク旧ワールドトレードセンター跡地に建設された78階建ての「4ワールドトレードセンター」(2014年)をはじめ、29年間にわたり行われた東京・代官山のヒルサイドテラス・プロジェクト(1969-98年)など、現代モダニズム建築の大作を残した人物だ。日本特有の細かいディテールに現代モダニズム建築材料であるコンクリート・金属・ガラスなどを利用して水平と垂直の幾何学的要素を生かしていると評価された。

 日本の大手建設会社・竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門の孫に当たる槙文彦氏は、1928年に東京で生まれ、東京大学で建築学を専攻した後、米ハーバード大学で修士号を取得した。そして、ハーバード大学などで教壇に立ち、東京・南青山のスパイラル(複合文化施設・1985年)、京都国立近代美術館(1986年)などを相次いで手がけ、名声を得た。1993年のプリツカー賞受賞時は審査で「東洋文化の長所を融合したモダニスト」と評された。2011年に米建築家協会(AIA)ゴールドメダルなどを受賞し、2016年に台湾・台北駅地区再開発、2021年には独ラインハルト・エルンスト美術館設計など、90歳を過ぎても意欲的に仕事を続けた。

崔宝允(チェ・ボユン)記者