# 在外被爆者

「ブラジルの在外被爆者支援の道切り開いた」 森田隆さんを悼む声
2024.08.14

「ブラジルの在外被爆者支援の道切り開いた」 森田隆さんを悼む声

 広島で被爆し、移住先のブラジルで在外被爆者の援護拡大に尽力した森田隆さんが12日、100歳で亡くなった。森田さんは1984年、サンパウロ市内で「在ブラジル原爆被爆者協会(ブラジル被爆者平和協会に改組)」(2020年解散)を設立。在外被爆者にも日本に住む被爆者と同様の援護をすべきだと訴えて訴訟

在外被爆者援護の「格差」是正に道開く ブラジルの森田隆さん死去
2024.08.14

在外被爆者援護の「格差」是正に道開く ブラジルの森田隆さん死去

 広島で被爆し、ブラジルに移住して在外被爆者援護の実現に尽力した森田隆さんがサンパウロの病院で死去した。100歳だった。13日に葬儀が営まれた。地元紙などが伝えた。 森田さんは1924年、広島県砂谷(さごたに)村(現・広島市佐伯区)で生まれた。20歳のとき、静岡県浜松市の航空隊に

《ブラジル》訃報=ブラジル被爆者平和協会創立者=森田隆さん
2024.08.14

《ブラジル》訃報=ブラジル被爆者平和協会創立者=森田隆さん

 ブラジル被爆者平和協会の創立者で元会長の森田隆さんが12日午前5時55分、サンパウロ市内のサンタクルス病院で老衰のため亡くなった。100歳の誕生日を3月2日に祝ったばかりだった。13日午前10時から、聖市内のプレナ葬儀場で告別式が行われ、遺体は午後3時から葬儀が行われたコンゴニアス墓地に埋葬

森田隆さん死去、100歳 在外被爆者援護に尽力
2024.08.14

森田隆さん死去、100歳 在外被爆者援護に尽力

 広島市で被爆後にブラジルに移民し、在外被爆者援護実現に尽力した森田隆さんが12日、老衰のためサンパウロ市内の病院で死去した。 100歳だった。 1924年、広島県生まれ。45年8月の原爆投下時、旧日本陸軍憲兵として爆心地近くで働いていて被爆した。56年、家族と共に

森田隆さん死去 在外被爆者援護の道開く
2024.08.14

森田隆さん死去 在外被爆者援護の道開く

 【サンパウロ共同】ブラジルで被爆体験の証言を続け、在外被爆者援護の道を切り開いた森田隆(もりた・たかし)さんが12日、サンパウロ市の病院で老衰のため死去した。100歳だった。 1924年、広島県砂谷村(現広島市佐伯区)生まれ。21歳の時に広島の爆心地近くで、旧日本陸軍の憲兵とし

在ブラジル被爆者 森田隆さん死去 在外被爆者援護の道切り開く
2024.08.14

在ブラジル被爆者 森田隆さん死去 在外被爆者援護の道切り開く

 南米に暮らす被爆者を束ね、援護の道を切り開いてきた在ブラジル被爆者の森田隆(もりた・たかし)さんが現地時間12日午後5時55分、老衰のためサンパウロ市の病院で死去した。100歳。広島県湯来町(現広島市佐伯区)出身。葬儀は現地時間13日にサンパウロ市内で執り行う。 旧日本軍の憲兵

在ブラジルの被爆者、森田隆さん死去
2024.08.14

在ブラジルの被爆者、森田隆さん死去

 【サンパウロ共同】ブラジルで被爆体験の証言を続け、在外被爆者援護の道を切り開いた森田隆さんが12日、サンパウロ市内の病院で老衰のため死去した。100歳だった。

父の「二重の苦難」知って 在韓被爆2世、証言に意欲
2024.08.08

父の「二重の苦難」知って 在韓被爆2世、証言に意欲

 「韓国人被爆者は二重の被害を強いられてきた」。長崎市で6月に開かれた被爆2世との交流会で、在外被爆者訴訟の原告だった李康寧さん=2006年に78歳で死去=を父に持つ韓国原爆被害者2世会会長の太宰さん(65)は訴えた。差別と被爆による苦痛を味わった父の生涯を通じ、韓国・朝鮮人被爆者の苦難に目を

「明日死ぬとしても手帳がほしい」 在韓被爆者に「証明」の壁
2024.06.15

「明日死ぬとしても手帳がほしい」 在韓被爆者に「証明」の壁

 「今日、明日に死ぬとしても手帳がほしい」。米国による原爆投下から79年がたとうとしている今も被爆者と認められない人が韓国にいる。広島では日本の植民地だった朝鮮半島から徴用された人たちが被爆。帰国後、被爆者健康手帳取得には国境や証人など高いハードルが立ちはだかり、未取得のまま亡くなった人も多い