# 日本の戦国時代

前評判通り、主要賞制覇 「SHOGUN」が快進撃 米エミー賞
6時間前

前評判通り、主要賞制覇 「SHOGUN」が快進撃 米エミー賞

 【ロサンゼルス時事】日本の戦国時代を舞台にした真田広之さん主演の「SHOGUN 将軍」が、米テレビ界の頂点に位置するエミー賞で輝きを放った。 ドラマシリーズの作品賞をはじめ、主要部門の軸になる主演男優賞、主演女優賞、監督賞を制覇。米メディアでは「壮大さ」や「精緻さ」が評価されて

<SHOGUN 将軍>エミー賞で史上最多の18冠! 真田広之は日本語で時代劇の先達に感謝
12時間前

<SHOGUN 将軍>エミー賞で史上最多の18冠! 真田広之は日本語で時代劇の先達に感謝

 米テレビ界で最高の栄誉とされる「第76回エミー賞」の授賞式が9月16日(日本時間)、ロサンゼルスで開かれ、真田広之さんがプロデュース・主演を務めたドラマ「SHOGUN 将軍」がドラマシリーズの作品賞に選ばれた。さらに真田さんが日本人俳優として初めて主演男優賞を受賞するなど、合計で18冠に輝い

【速報】第76回エミー賞、『SHOGUN 将軍』の真田広之さんが主演男優賞受賞
14時間前

【速報】第76回エミー賞、『SHOGUN 将軍』の真田広之さんが主演男優賞受賞

アメリカ・テレビ界の最高の栄誉とされる「第76回エミー賞」で、『SHOGUN 将軍』の主演を務めた真田広之さんが主演男優賞を受賞しました。真田さんはこの作品のプロデューサーも務めています。助演男優賞にノミネートされていた浅野忠信さんと平岳大さんは受賞を逃しました。<

豊臣秀長を弔い続けた藤堂高虎の「義理」立て
2024.09.13

豊臣秀長を弔い続けた藤堂高虎の「義理」立て

■恩に「義理」で応える藤堂高虎 藤堂高虎(とうどうたかとら)は、立身出世のために豊臣家を見限り、実力者であった徳川家康に媚びへつらうことで、国持大名に取り立てられたエピソードでよく知られる大名だと思います。 しかし、高虎は若いころから奉公先を転々としてきたものの、豊

織田信長の書状、永青文庫と熊本大が発見 細川藤孝宛て、畿内領主の組織化を依頼
2024.09.12

織田信長の書状、永青文庫と熊本大が発見 細川藤孝宛て、畿内領主の組織化を依頼

 公益財団法人永青文庫(東京都)と熊本大永青文庫研究センター(熊本市中央区)は6日、織田信長が肥後細川家初代・細川藤孝(幽斎、1534~1610年)に宛てた新たな書状を発見したと発表した。室町幕府が滅亡する約1年前から、15代将軍足利義昭の側近だった藤孝が信長と内通し、畿内の有力領主たちの組織

家康が60歳でも子作りに励んだから今も徳川家は続いている…17歳から65歳でつくった「11男5女」全一覧
2024.08.23

家康が60歳でも子作りに励んだから今も徳川家は続いている…17歳から65歳でつくった「11男5女」全一覧

徳川家康には、現在なら定年退職の年齢にあたる60歳で十男、61歳のときに十一男が誕生し、現在の徳川家当主に続く血脈を作ってから73歳で死去した。系図研究者の菊地浩之さんは「家康には少なくとも11男5女の子がいて、男児は二代将軍秀忠のほか、徳川御三家の祖となるなど、400年続く徳川家の礎を築いた

秀吉に利用され、家康に期待された丹羽長重の「実直」さ
2024.08.02

秀吉に利用され、家康に期待された丹羽長重の「実直」さ

■「実直」な性格により翻弄される丹羽長重 丹羽長重(にわながしげ)は、父長秀(ながひで)から引き継いだ123万石の所領と有能な家臣団を2度の減封により失い、関ヶ原の戦いでも西軍について改易された凡将のイメージが強いと思われます。 しかし、2度の減封は秀吉が丹羽家の勢

「空堀の聖地」小机城、交通の便もよく駅近、オールシーズン楽しめる土の城が抱える問題点とは
2024.07.17

「空堀の聖地」小机城、交通の便もよく駅近、オールシーズン楽しめる土の城が抱える問題点とは

 (歴史ライター:西股 総生)■ 土の城入門に最適な城だが…… 横浜市港北区にある小机城は、空堀の聖地である。 筆者はこれまで何度も、地方から上京した研究者仲間や、城好きの知人をご案内しているが、ほとんどの人がこの城の空堀に目を見はる。「なに、これ……

TVアニメ『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行とは何者か? 鎌倉幕府滅亡で狂わされた貴公子の未来
2024.07.08

TVアニメ『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行とは何者か? 鎌倉幕府滅亡で狂わされた貴公子の未来

7月6日よりTVアニメ『逃げ上手の若君』がスタートした。1話では主人公・北条時行(声:結川あさき)が鎌倉の街を駆ける平和な様子から一転、鎌倉幕府滅亡という衝撃的な展開が描かれた。教科書でもあまり多く触れられないこの時代を生きた北条時行とは、一体どのような出自の人物だったのだろうか?

北陸を制し勢いに乗る上杉謙信、逃げる織田軍は川に飛び込み溺死…謙信最強伝説を生んだ「手取川の戦い」
2024.07.07

北陸を制し勢いに乗る上杉謙信、逃げる織田軍は川に飛び込み溺死…謙信最強伝説を生んだ「手取川の戦い」

越後の上杉謙信が隣国・能登の山上にある七尾城を奪取した「七尾攻め」(1576~77年)。その直後に織田軍を蹴散らした「手取川の戦い」は、謙信の強さを示すエピソードとして知られている。歴史家の乃至政彦さんは「謙信の狙いは、天下人・織田信長との対決。北陸にも勢力を伸ばす信長と対決するには、先んじて

【歴史の謎】なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのか…理由は四国にあり?「本能寺の変」を解く4つの説
2024.06.02

【歴史の謎】なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのか…理由は四国にあり?「本能寺の変」を解く4つの説

 1582年6月2日(旧暦)、織田信長が京都・本能寺で明智光秀の襲撃に遭い、自刃した。光秀はなぜ謀反を起こしたのか? その理由は諸説あるが、近年は、四国・長曾我部元親との関係が背景にあるという説も浮上している。 X(旧Twitter)で歴史上の偉人による架空のタイムラインなどを投

第2次鳥取城攻め 秀吉の文書発見 佐治郷宛て「地域の安全保障」 鳥取県・やまびこ館が京都の古書店で購入
2024.05.30

第2次鳥取城攻め 秀吉の文書発見 佐治郷宛て「地域の安全保障」 鳥取県・やまびこ館が京都の古書店で購入

 戦国時代に鳥取城を攻めた羽柴(豊臣)秀吉が、従う姿勢を示した佐治郷(鳥取市佐治町)の安全を保証した文書が見つかり26日、鳥取市歴史博物館・やまびこ館(同市上町)で公開された。同時期の同様の文書が定型化されており、秀吉の文書作成に対する意識の変化がうかがい知れる。 公開したのは1