# 壕
沖縄戦の犠牲拡大させた「南部撤退」研究重ねる米国の若者…生き残った男性「知る限りのこと伝えたい」
武装していない一般住民が巻き込まれる戦争を二度と繰り返してはならない――。79年前の沖縄戦で起きたことを広く伝えたいと、国や世代を超えて動き出した若者たちがいる。 「『南部撤退』が決定された第32軍司令部壕を、広島の原爆ドームのように世界文化遺産に登録するという考えをどう思いま
崩落進む地下壕、3Dで保存 沖縄戦で数百人避難の貴重な戦跡
太平洋戦争末期の沖縄戦で最後の激戦地となった沖縄県糸満市は、住民や日本兵ら数百人が当時避難した天然の大規模地下壕の内部を撮影して3Dデータ化し、ホームページでの年内の公開を目指している。貴重な戦跡として平和学習に活用されてきたが、近年は内部の崩落が進んで立ち入りが困難に。市は「悲惨な記憶を継
沖縄線当時の住民の避難状況を知る平和資料展「壕とガマ」 石川歴史民俗資料館で開催
今月23日の「慰霊の日」を前に、沖縄戦で住民らが避難した壕とガマの資料展がうるま市で開かれています。「うるま市の壕とガマ~暗やみの中から~」と題された資料展は、戦争の悲惨さや当時の人々が感じたことを考えてもらおうと、うるま市の石川歴史民俗資料館が企画したものです。会
ストレスで心臓バクバク…日本兵2万2000人が死亡した「硫黄島」地下壕の「知られざる状況」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が発売たちまち6刷と話題だ。 普段ノンフィクションを読まない人にも届き、「
上皇さま、戦争への思い深く 疎開生活、たびたび話題に 栃木・日光
上皇ご夫妻は28日、上皇さまが疎開生活を送った栃木県日光市を23年ぶりに再訪された。 90歳となっても「戦争への深い思いがおあり」(側近)という上皇さまは、ご夫妻の間で疎開生活がたびたび話題に上っていたという。この日訪れた日光田母沢御用邸記念公園には、上皇さまが1944年7月か
旧海軍航空基地の防空壕を初公開「何のために…」新たに見つかった“謎の部屋” 戦後は東大の実験フィールドに
松山空港にほど近い県道沿いの山の麓に、2つの奇妙な穴が開いています。その正体は旧松山海軍航空基地の防空壕2基です。1基は長さ6m50㎝、高さ2m50cmの短い防空壕。もう1基はコの字型で長さ約90m、高さ2m50cmの長い防空壕。いずれも1944年4月以降の建造と推定されています
首里城の地下「沖縄戦の軍司令部壕」、水浸しの床に複数の空き瓶…一般公開を視野に保存進む
沖縄県は22日までに、旧日本軍が那覇市・首里城周辺の地下約10~30メートルに構築し、太平洋戦争末期の沖縄戦で重要作戦立案の舞台となった第32軍司令部壕(総延長約1キロ)の一部を報道陣に公開した。79年前の5月22日、多数の住民を戦火に巻き込むきっかけとなった「南部撤退」が決定された場所で、
沖縄戦「南部撤退」を決めた第32軍司令部壕を報道陣に公開…参謀寝室は目視で確認できず
沖縄県は22日までに、旧日本軍が那覇市・首里城周辺の地下約10~30メートルに構築し、太平洋戦争末期の沖縄戦で重要作戦立案の舞台となった第32軍司令部壕(総延長約1キロ)の一部を報道陣に公開した。79年前の5月22日、多数の住民を戦火に巻き込むきっかけとなった「南部撤退」が決定された場所で、
第32軍司令部壕 第2坑道と第3坑道の内部を撮影
沖縄戦で旧日本軍が、首里城の地下に造った「第32軍司令部壕」にカメラが入りました。いまだ明らかになっていない部分も多い壕の内部の様子とは。土砂や岩のようなものが堆積し足元には水が溜った大人がかがまないと通れないほど狭く薄暗い道。これは旧日本軍が、首里城の地下に造った「第32軍司令