バガヨコはナイフで腕を刺され、カヌーテは体中殴打…セイドゥ・ケイタがマリ代表と平和のために成した勇気ある行動

AI要約

2005年、サッカーマリ代表選手のセイドゥ・ケイタが暴力に囚われた国で平和大使として活動する中で、マリ代表が厳しい状況に直面する。ワールドカップ予選でトーゴとの闘いが重要な試合となり、地元サポーターの期待を背負ってケイタや2人の欧州リーグで活躍する選手が活躍を求められる。

2人の選手には祖国への忠誠心が問われ、厳しい目で評価される中、結果を出すプレッシャーを受ける。その中で、マリ代表はワールドカップ出場への最後の可能性をかけて戦う決意を固める。

セイドゥ・ケイタを含むマリ代表は最終戦に向けて満場の声援を受け、トーゴとの対戦で勝利を目指す。国内外でのプレッシャーと期待を背負いながら、チームは団結し、勇敢な姿を見せることになる。

バガヨコはナイフで腕を刺され、カヌーテは体中殴打…セイドゥ・ケイタがマリ代表と平和のために成した勇気ある行動

独裁政治による衝突、ピッチ外での暴動、宗教テロ、民族対立……。いまなお様々な争いや暴力と常に隣り合わせのなか、それでもアフリカの地でサッカーは愛され続けている。われわれにとって信じがたい非日常がはびこるこの大地で、サッカーが担う重要な役割とは? 本稿では、自身も赤道ギニアの代表選手として活躍し、現在はサッカージャーナリストとして活動する著者が書き上げた書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』の抜粋を通して、アフリカにおいて単なるスポーツの枠に収まらないサッカーの存在意義をひも解く。今回はセイドゥ・ケイタがマリ代表と平和のために成した勇敢な行動について。

(文=アルベルト・エジョゴ=ウォノ、訳=江間慎一郎/山路琢也、写真=AP/アフロ)

時折、地球に生まれる何百万人もの中から特別な人間が出現する。澄んだ眼差しと堕落しない心を持った純粋な人間であり、通った跡に善をまいていく。セイドゥ・ケイタが偉大な人物なのは、サッカーマリ代表として100以上のキャップ数を誇るからというだけではなく、暴力に囚われた国で平和大使になったからでもある。

2005年、すでにベテランの域に達していたケイタは、マリ代表に欠かすことのできない絶対的な存在となっていた。

だが、翌年のワールドカップ・ドイツ大会に向けて予選が行われている中で、マリ代表チームは何の前触れもなくアフリカならではの厳しい状況に直面していた。アフリカサッカー連盟(CAF)は最終予選を1組当たり6か国とし、各組の1位がそのままワールドカップ出場権を得るとしたのだ。この決定に首都バマコが激しく動揺した。マリと同じ組にトーゴがいたからだ。小国でサッカーの伝統も浅いが、いざグラウンドに立つと圧倒的な力を見せるアデバヨールを擁している。

マリはバマコにあるスタッド・ヴァン・シス・マルスでトーゴと最終予選の第6戦を闘わなければならない。前回の試合の苦い記憶が蘇る。その試合でアデバヨールはピッチを闊達に走り回り、空中戦を制し、“ハイタカ(トーゴ代表の愛称)”軍団をグループ1位に押し上げるゴールを決め、マリを完膚なきまでに叩きつぶしたのだ。息詰まる雰囲気の中、トーゴをこのままワールドカップに行かせるのか、その可能性を消滅させるのか、マリ代表“イーグルス”はやるだけのことはやらねばならない。

極めて重要な試合に5万人のサポーターが押しかけ、マリ代表に声援を送った。ここで負ければ、ワールドカップへの出場はほとんど絶望的だ。地元のサポーターにとって大きな希望は、ケイタに加え、フランス生まれでありながら祖国のために尽くすことを決意した2人のフォワードの選手だ。

この2人はヨーロッパでは高い評価を受けていたが、マリ国内での2人を見る目はかなり厳しかった。サポーターとしては、2人がマリのエンブレムを胸につけても、ヨーロッパでプレーする時と変わらぬ優れたパフォーマンスを披露してほしいところだ。しかし2人のセンターフォワードはいつも疑いの目を向けられ、虫めがねで粗探しをされているように感じていた。

そのため、サポーターを満足させるために、他の代表選手よりも結果が求められた。その1人がナントのスターであるママドゥ・バガヨコであり、もう1人がトッテナムのフレデリック・カヌーテだ。カヌーテはリヨンの下部組織で育っているためか、特に厳しい目で見られた。