金メダル直後、松友美佐紀が流した涙「湧いてきたのは“寂しさ”でした」“タカマツ”フィーバーを生んだリオ五輪「本人が明かす舞台ウラ」

AI要約

松友美佐紀は、リオ五輪で金メダルを獲得し、パートナーの引退後に混合ダブルスへ転向。現在は新たな目標に向かって練習を続けている。

彼女はシングルスからダブルス、そしてミックスダブルスへと挑戦し、常に新しいことに挑戦する楽しさを感じている。

女子ダブルス時代の経験が特別で、世界の強豪との戦いに常に挑戦し成長してきた。

金メダル直後、松友美佐紀が流した涙「湧いてきたのは“寂しさ”でした」“タカマツ”フィーバーを生んだリオ五輪「本人が明かす舞台ウラ」

 2016年リオデジャネイロ五輪でバドミントン女子ダブルスを制し、日本バドミントン界初の金メダルに輝いた松友美佐紀(BIPROGY)。コロナ渦で東京五輪が1年延期となっていた2020年8月に、パートナーの高橋礼華が引退して「タカマツ」ペアを解散したものの、同じタイミングで混合ダブルスへの転向を表明し、金子祐樹(BIPROGY)と組んでパリ五輪を目指してきた。

 結果的に出場権獲得には至らなかったが、どんなときも最後まで諦めずにシャトルを追う姿には、女子ダブルスで世界の頂点に立っていた時と変わらぬ情熱がにじみ出ていた。

 14年10月に全種目を通じて日本勢初の世界ランキング1位を獲得した女子ダブルスの頃から、バドミントンに対するストイックな姿勢が際立っていた松友。パリ五輪レースを終えた彼女が次に見つめているところは――。《NumberWebインタビュー全2回の前編》

◆◆◆

「パリ五輪が終わった後ぐらいに日本で国際大会があるので、今はそこに向けて練習に励んでいるところです」

 7月上旬、都内の体育館。松友はさわやかな笑顔でインタビューに応じた。

 8月20日から横浜アリーナで開催される「ダイハツジャパンオープン」を次の目標とし、連日トレーニングを続けているという。

 リオ五輪から8年が過ぎた今も、物静かなたたずまいは変わらない。そこに柔らかさが加わったようにも感じる。

 松友は1992年2月、徳島県生まれ。学齢期は女子シングルスで世代随一の成績を残し、徳島中学と聖ウルスラ学院英智高校で全国優勝を飾った。一方で、高校に入ってから1学年上の高橋さんと組んだ女子ダブルスでもめきめきと頭角を現していった。

「小さい頃はシングルスをメインにやっていたので、その頃は将来ダブルスをやっているとは思いませんでした。高校で縁があって高橋先輩とペアを組むことになって、その後結果を残せるようになり、さらに今はミックスダブルス。新しいものへ挑戦していくことや、できないことができるようになること、見たことのないものを感じるのは楽しいです」

 どの種目にも面白さがあるというが、やはり女子ダブルス時代の経験は特別だ。松友が高橋さんと組み始めたのは高1の時。高2だった08年にインターハイを制し(松友はシングルスも優勝)、10年に日本代表入りを果たすなど、めきめき力をつけていったが、世界の壁は厚かった。

「最初の頃、世界のトップクラスとは本当に大人と子どもなんてものじゃないぐらいの差がありました。でも、対戦相手に『ラッキー』と思われるようなレベルの時から常に、強い選手たちとどうやったら互角にやれるのかを考えてやっていました」