「日本の顔になって恩返しをしたい」パリ五輪サッカー斉藤光毅が語る一番のゴールと最終目標、「危機感を覚えます」同学年のA代表・久保建英

AI要約

斉藤光毅はU-23サッカー日本代表のエースナンバー10で、パリ五輪でメダルを目指すサッカー選手。

彼の目標は、チャンピオンズリーグの決勝でゴールを決めることであり、日本代表やワールドカップへの出場も夢見ている。

同学年の久保建英がA代表で活躍する姿から、刺激を受けながら自身も成長を目指している。

斉藤光毅はファンのサポートに感謝し、その応援を背負いながら活躍し、日本の顔になることを目指して頑張る姿勢を見せている。

将来は25歳でA代表の中心選手となり、チームとしての成功と個人としての成長に努めることを誓っている。

斉藤光毅はドリブルによる仕掛けが特筆され、横浜FC、ロンメルSK、スパルタ・ロッテルダムでのプレーを経て、リーグ戦での活躍が認められている。

彼の挑戦心と向上心が日本サッカーにとっての希望となり、将来の日本代表を引っ張る存在として期待されている。

「日本の顔になって恩返しをしたい」パリ五輪サッカー斉藤光毅が語る一番のゴールと最終目標、「危機感を覚えます」同学年のA代表・久保建英

 パリ五輪でメダルを目指すU-23サッカー日本代表、大岩ジャパンのエースナンバー10を背負う、オランダ1部スパルタ・ロッテルダムに所属する斉藤光毅(22)に直撃インタビュー。

 最終回は、「一番、印象に残っている」ゴールから、プロとして日本代表としての最終目標、「刺激になる」ライバルの存在、そして応援してくれる、すべての人への熱いメッセージまで。最強ドリブラーのパリ五輪に対する「ラスト決意表明」もいただきました!

――横浜FC時代のチームメイトであり、サッカー界のレジェンドである三浦知良選手のアドバイス以外に、何か座右の銘はありますか?

斉藤 ないですね。カズさんにもらった言葉を、これからも移籍するたびに、そして移籍してからも、意識していきたいなと思っています。

――では、これまで決めたゴールの中で一番、印象に残っているゴールはありますか?

斉藤 横浜FC時代の2019年4月21日のホームのジェフユナイテッド千葉戦の、ライン際を突破して決めたゴールですね。

――確かに、斉藤選手の圧巻のドリブル突破が光ったゴールでした。

斉藤 それが一番、印象に残っています。でも、ゴールは全部、本当にうれしいので、もう全部、覚えていたいですね(笑)。

―― 本当にすごかったです。では、最後に、斉藤選手のプロとしての、そして日本代表としての最終目標を教えてください。

斉藤 自分が一番、目標にしていることは、チャンピオンズリーグの決勝で点を取ることです。これから成し遂げたいなと思っています。

――プレミアリーグで活躍して、「日本の顔」になるという話もしています。

斉藤 プレミアリーグではなくても、チャンピオンズリーグの決勝に行けるようなチームに入って、活躍することで日本の顔になれると思うんです。

 この目標を達成できる状況になれば、日本代表やワールドカップも見えてくると思うので、必然的に日本の顔になることができるのではと思います。

――25歳のときにはA代表として、絶対的な存在になりたいと話されていました。

斉藤 常にそうなりたいと思っています。そのときどきによって考え方は変わってくるとは思いますが、そのときそのときの目標をしっかりと持って、前を向いて進んでいきたいですね、これから。

――斉藤選手は年代別の日本代表で、現在A代表の久保建英選手とのコンビプレーが素晴らしいと、話題になったことがありました。同学年の久保選手が一足先にA代表の中心として活躍しています。どう思いますか?

斉藤 同い年で世界のトップレベルで活躍しているのは、本当に刺激になりますし、危機感も覚えます。年代別で一緒にやっていた選手たちがA代表で活躍しているのを見て、それも危機感になっているので、頑張らなきゃいけないなって改めて思います。そこに自分も行かなきゃいけないと考えています。

――では、斉藤選手を応援するファンの人に向けてメッセージをください。

斉藤 今の自分の状況だと、日本人として自分よりも上の選手はたくさんいるじゃないですか。その中でも自分を応援してくれているというのは、本当にうれしいことなので、その応援を背負いながら自分も活躍して、その恩返しをしたいなと思いますし、日本の顔になって、自分の目標を実現して、喜んでもらえるように頑張っていきたいなと思っています。

――応援していますね! まずはパリ五輪の金メダルよろしくお願いします。

斉藤 任せてください。

斉藤光毅(さいとう・こうき) プロフィール 2001年8月10日生まれ、神奈川県出身。170センチ、61キロ。犬蔵SCから横浜FCジュニアユースを経て、横浜FCユースへ。下部組織から横浜FCで育ち、18年9月にプロ契約。J2デビューを果たすと、通算31試合で6得点。20年にチームが13年ぶりにJ1昇格を果たすと、J1通算32試合で3得点。19年には、U-20ワールドカップに出場。20年シーズン終了後に、ベルギー2部のロンメルSKへ完全移籍(29試合5得点)。22年6月に、オランダ1部のスパルタ・ロッテルダムにレンタル移籍(32試合7得点)。昨シーズンは、ハムストリングの手術で4か月、戦線を離脱するも、公式戦22試合で3得点5アシストをマーク。オランダメディアが選ぶ年間ベストイレブンに選出された。最大の武器は、ドリブルによる仕掛け。