「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」

AI要約

植田直通の厳格な家訓と挑戦の意思を胸に、若き日の決断と成長を描く。

大津高校への挑戦やサッカーの実技試験における困難を乗り越える様子。

植田の貪欲な勝利への姿勢と、強い意志で未知の挑戦に臨む決意。

「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」

 史上最強のヘディンガーと称しても、過言ではない。名門・大津高校で育ち、ヨーロッパでの挑戦を経て、今、再び鹿島でのタイトル奪還に燃えている。これが、勝利を貪欲に求め続ける漢・植田直通の生きる道。

 発売中のNumber1100号[燃える闘魂]植田直通「失敗したって死にゃあしない」より一部を抜粋してお届けします。

 植田家、家訓――。

 スポーツでは、絶対に負けるべからず。誰よりも上手くなって、一番になるべし。

 厳格な父の教えを胸に、直通少年は逞しく、強靭に育った。わずか2歳で自転車の補助輪を外し、かけっこでは先頭をぶっちぎる。小学生の頃から始めたテコンドーでは、世界大会にも出場した。

 人生で最初に運命の決断を下したのは、15歳のときだ。熊本県宇土市立住吉中学校の一室で、担任の先生にこう告げた。

「大津高校を受験します。もしも前期で落ちたら、他の学校に行きます」

 机の向こうに座る教師は、困惑していた。

「大津は進学校だし、サッカー部も全国レベルだぞ。もっと試合に出られる学校でも、いいんじゃないか?」

 そんな説得を受けても、鋭く真っ直ぐな目が揺らぐことはなかった。

「僕は性格上、楽な環境に進んで、そこに慣れてしまうのが嫌なんです。大津は熊本で一番強い高校ですし、県内のエリートが集まります。当時の僕は、熊本県のトレセンには選ばれていましたけど、全くの無名選手。でも、一番強くて一番争いが激しいところで勝負するからこそ、成長につながると思って選びました。その考えを尊重して受験を許してくれた両親と担任の先生には、今でも感謝しています」

 植田が挑んだ県立大津高校普通科体育コースの入学試験は、前期と後期の2回行われる。試験科目に学科はなく、50m走や立ち幅跳び、反復横跳びなどの体力テストと、試合形式によるサッカーの実技テストが実施された。前期の合格者はわずか十数名。その椅子を狙って、Jリーグクラブのジュニアユース育ちや強豪中学出身者など、熊本県選抜チームの主力が集まっていた。